» ちょっとしたお話

今年も、梅雨明けの暑さと共にお盆の期間がやってまいりました。こちら熊本県荒尾市では八月十三日~十六日までがお盆の期間ですが、熊本市内は関東と同じく七月十三日~十六日をお盆の期間とされています。何故このようにお盆の期間が違うのかといいますと、旧暦の頃は七月十三日から十六日までがお盆の期間だったのですが、新暦になり、新暦の七月でお盆をするか、旧暦にあわせてお盆をするか、一か月遅らせて八月にお盆をするかの三パターンに分かれたそうです。 

 

農業を営む方が多かった時代、新暦の七月にあわせると忙しくて都合がつかず、やはり一か月遅らせた八月にしようという地方が多かったようです。福岡や長崎、九州ほとんどが八月盆です。その中でなぜか熊本市が七月にお盆をします。これは、先輩のお上人に聴いたお話しなのですが、熊本市内が七月にお盆をするのは、昔は九州の中では熊本が国から大変重要視されており、出先機関も多かったこともあって、中央に合わせて七月にお盆をしていたのだろうと仰っていました。 

 

さて、お盆といいますと私には忘れられない思い出があります。小学生の低学年くらいの時です。 

 

  お盆の時期になると日も長くなり、夕方になると空には綺麗な夕焼けが生まれます 

その日はとても夕焼けが綺麗でした。赤や黄色やオレンジやらピンクがかったもの、西の空は色とりどりでとても美しく、「綺麗だなー」と最初は見とれていましたが、ふと、見入っているうちに夕焼けが良くない前兆を示しているかのような感覚に陥り、もの凄く不安な気持ちに襲われ、何故か世界がおわってしまうかのような感じに捉われてしまいました。そして怖くなって泣き出して急いで家に帰りましたが誰もいません。余計に恐ろしくなり、急いで近くに住んでいる母と十近く離れている母のお姉さん、伯母さんの家に泣きながら駆け込み「おばちゃん、おばちゃん!空が真っ赤!変な色してる!おかしいよ!」と当時ベッドで療養生活を送っていた伯母さんに助けを求めました。伯母さんは幼少の頃より祖父母を知らない僕にとって実の祖母のような存在の人で、何か困ったり、両親に怒られたりすると、助けてくれる僕の駆け込み寺でした。

 

すると伯母は優しく「あれはね、今お盆だから色んな家の亡くなったご先祖様達が帰ってきているんだよ、だからね、空が喜んであんなに綺麗な色しているんだよ、あの色はご先祖様達が帰ってきたという証拠なんだよ。だから怖いことなんて何もないよ。」と優しく諭してくれました。子ども心ながらその言葉に妙に納得し、安心した僕は泣くのをやめて、夕焼けに向かって一緒に手を合わせました。

 

残念ながら叔母はもうこの世にはいません。しかし、今でもあの夏の日のことは強く心の中に残っています。お盆の時期に綺麗な夕焼けを見る度に、その小学生だったあの日を、伯母の言葉と共に思い出し、「帰ってきたんだね!おかえりなさい」と心の中でつぶやきながら、あの温かい言葉と共に伯母の笑顔を思い出します。

 

さて、法華経の中で「善知識」という言葉が出てまいります。善き知識を与えてくれる人、善き友のように道を示し導いてくれる存在であるという意味です。出家し僧侶となった私にとって、幼き頃、何気ない日常の一コマにて、大切なことを教えてくれた叔母はまさしく善知識でした。

 

人は無くして初めてその価値に気がつく生き物です。側にある時はそれがどんなに価値のあるものでもありがたくは感じれとれないものです。無くして初めてそのありがたさに気がつくものです、これは人と人との関係もしかりです。

 

どんな人でも自分にとって善知識になりえるはずなのですが、生きている間にはその人の良さになかなか気がつくことができない。亡くして初めてその人と向かい合うことで、あの人はこんなことを自分に残していってくれたんだ、あんなことを教えてくれたんだなと、改めて気がつくことができます。

 

供養するというのは亡くなった人と向き合うことでもあるんです。そうしているうちにだんだん自分自身とも向き合えてきます。

 

お盆の期間、亡くなった方々が帰っていらっしゃいます。手を合わせて、故人をしのび、そして思い出話に花を咲かせながら、こんなことがあったね、あんなことがあったね楽しくおしゃべりされてください。

きっと、どこかで笑顔で聴いていらっしゃることでしょう。

浄土の世界

| ちょっとしたお話 |

お檀家さんの所にて追善供養のお経をあげて、お話をしております・・・。

「私達は亡くなったら四十九日の冥途の旅を終えるとお釈迦さまやご先祖様のおられる霊山浄土というお浄土の世界へといくんですよ」とお話をしていますと、こんなことを聞かれました。

「あの~。うちは日蓮宗なんですけれど姉は浄土真宗の家に嫁ぎました。その時は極楽浄土に行くとお坊さんが仰っていたんですけれども、それぞれ行く世界が違っているならもう会えることはできないんですか?」

 なるほど・・・ごもっともな疑問です・・・。浄土間の行き来があるかどうか?

 浄土というのは簡単にいえば「仏様の国」です。仏様といえば一般的にお釈迦さまをイメージしますが、実はお釈迦様以外にもたくさんの仏様がいらっしゃいます。お釈迦さまが教えをとかれた時を現在と考え、過去世、現在世、未来世の三世にわたってたくさんの仏様がそれぞれの国を持っておられて、その仏様の国を浄土と言います。有名どころでいいますと例えば、霊山浄土、極楽浄土、薬師如来の東方浄瑠璃国、観音菩薩の補陀落浄土などなどです。

法華経を信仰する人はお釈迦さまのおられる霊山浄土、浄土真宗や浄土宗、お念仏信仰をされ、阿弥陀佛を信仰していらっしゃる方は極楽浄土、真言宗の方は十三回の輪廻を繰り返して徐々に大日如来の元へと登っていくそうです、どの宗派も自分が拠り所とするそれぞれの仏様の元へと行き、そしてその浄土、痛みも苦しみもない安穏とした世界にてご先祖様や亡くなった故人の方々といずれは再会する、日蓮宗にかかわらずどの宗派もそのように説かれておりますが、それぞれの浄土の世界を行きかうことはできるのだろうか?ということには考えたことがありませんでした。

 「今日はどこの浄土に行ってみようかな~たまにはおばさんのいる極楽浄土にでも遊びに・・・、いやいや久しぶりにおじいさんのいる霊山浄土にでも行ってみるか~」

なんてことが浄土では行われているのでしょうか・・・。霊山浄土は法華経が永遠に説かれる場所でありますから法華経の中に答えがあるはずです。法華経を読んでいきますと、たくさんの人や菩薩、龍や様々な一族がお釈迦様の教えを熱心に聞いている情景が描かれています。法華経の中、「見宝塔品第十一」という場面ではお釈迦様が一筋の光を放たれ、東の方角に数えきれないほどの国土とそこを治める様々な仏様を見られると、仏様方はそれぞれの治める国から一人の大菩薩を従えて皆集まった。と記されてあったり、「常不軽菩薩品第二十」では、阿弥陀仏の極楽浄土からきた阿弥陀仏の智慧第一の弟子と言われる得大勢菩薩(勢至菩薩)が出てきたり、「妙音菩薩品第二十四」の場面ではお釈迦さまの眉間から放たれた一筋の光が東方を照らし何千億という世界を越えて‘浄華宿王智如来’という仏の世界の「妙音」という菩薩に届き、妙音菩薩がお釈迦さまにお会いしたいと願い、導かれて霊鷲山にやってきたり、「普賢菩薩勧発品第二十八」では‘宝威徳上王仏’という仏の国の普賢菩薩が法華経を聴くために百千万億の菩薩とともにお釈迦様のもとにやってきたりと、浄土間での行き来というのは結構記されております。

 時に、「人は死んだら無になるにきまっているじゃないか!あの世なんて見たことないんだからあるわけがない!」こういう事を仰られたり、お釈迦様の「毒矢の喩え」というお話を持ち出されて「お釈迦様はあの世の存在を否定されたんだ!」と言う方もいらっしゃいます。「毒矢の喩え」では「死後の世界はあるかないか?」というお弟子の質問に対し、お釈迦様は「わからないことをあれこれと考えても仕方がない、今すべきことをせずに、わかりもしないことを考えるのはやめなさい」と答えられました。

 

あるか?ないか?などと結論がでない問題を論じるのではなく。信じる信じないの問題ではないかと思います。死後の世界については「考える必要がない」という方はそれで結構だと思いますが、誰かにあちらで幸せに暮らしてほしいと願ったり、また誰かに再会したい、と思ったり、死について恐ろしいと感じるならばしっかり信じる。信じ、信仰することによって必ず浄土の世界は現われるのです。

 日蓮大聖人は「法華経を信仰する人は必ず霊山浄土に行く、そしてそこで、亡き愛しいと思う方と再会できる、それを励みにしっかり信心に勤めなさい」と仰られました。御自身もお弟子や信者の方々に「霊山浄土で会いましょう」と何度も仰られております。法華経の中「提婆達多品第十二」の中では、お釈迦さまの「未来世の中に若し善男子、善女人あって妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜらん者は地獄・餓鬼・畜生に堕ずして十方の仏前に生まれん」という言葉が出てきます。法華経の中でもしっかりと法華経を信仰した者は仏様の前へと、いわば浄土の世界へといけることが述べられています。

 浄土の世界を信じるということは、自分の命や家族の命、人の命と向き合うことです、遺された命をどう一生懸命に生きていくか、落ち着いて考えることができます。ただただ、余計な理屈はさておき信じる、お釈迦さまの言葉、大聖人の御言葉、受け継がれてきた先人たちの教えを信じ、しっかりと与えられた命を精一杯生きることが大切なのです。

花祭り 

| ちょっとしたお話 |

4月8日 当山におきまして、「花祭り・月例鬼子母神祭」が執り行われました。4月8日はお釈迦様の誕生日です。お釈迦様の誕生を喜んだ竜王が甘露の雨を降らしたことから4月8日の「花祭り」では誕生仏というお釈迦様がお生まれになった姿の仏像に甘茶を注いでお祝いするのです。そして、皆様にも飲んでいただく甘茶をお配りしました。甘茶の効能というのは様々で、外にまけばムカデなどの害虫除けや飲めば糖尿病や、抗アレルギー作用、胃腸や喉などによく効くといわれています。

さて、4月8日にお生まれになったお釈迦さま、俗に言う八万四千の法門と言われるほど膨大な教えを遺されました。その教えがまとめられてお経という形ができあがったのですが、最近ではよく本屋で「お釈迦の言葉」をテーマにした本をよく目にします、その中でもよく使われているお経が「法句経」というお経です。このお経は簡単に言えば「論語」のようなもので、人が生きていくうえでの人生訓をまとめたものです。その中の一つを紹介します。

 意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち 諸法(すべて)は意(おもい)に成る 意(おもい)こそは諸法(すべて)を統ぶ けがれたる意(おもい)にて 且つかたり 且つ行わば 輓くものの跡を追う かの車輪のごとく くるしみ彼にしたがわん

 意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち 諸法(すべて)は意(おもい)に成る 意(おもい)こそは諸法(すべて)を統ぶ きよらかなる意(おもい)にて 且つかたり 且つ行わば 形に影のそうごとく たのしみ彼にしたがわん

 すべての物事は人の意志や想いによって起こっている、それゆえに人の意志や想いこそがすべての物事を支配する。だから不純な動機をもって物事を行った人は、やがては苦しみにつきまとわれることになる。一方、純な意志を持って物事を行う人は、やがては楽しみが影のように離れることなくついてきてくれる。というお釈迦様の教えです。

 なるほど。と納得させられた方も多いのではないでしょうか?誰かの為、幸せを願ってやったことは自分自身も幸せにしてくれますが、自分の為、自分の欲の為にやったことと言うのは結局のところ、苦しみを生みだす一つの要因となってしまいます。

 書店では今、「お釈迦様の言葉」が本になったものが頻繁に目につくようになりました。それだけ現代社会に礎となる教えが必要になってきているのでしょう。迷われた時、是非お近くのお寺に出かけられて普段からお釈迦様の教えを学び、実践しているお坊さま方を頼ってください。きっとよりよき道を示してくださいます

暑さ寒さも彼岸まで、今年も寒い寒いと言いながら本日より、お彼岸の季節がやってまいりました。当山でも3月21日 春季彼岸施餓鬼供養を11:00より執り行います。さて、皆さんがお彼岸やお盆、お会式の時の法要時に卒塔婆(そとうば)を申し込まれます。さて、卒塔婆とは一体何でしょうか?何のためにたてるのでしょうか?

卒塔婆とは、元々お釈迦様の御遺骨を供養するために立てた建物、サンスクリット語の stûpa(ストゥーパ)という言葉が言語で、中国で卒都婆という字があてられました。その後、それは塔を意味することから都婆が塔婆とも書かれるようになりました。塔婆には、各地の大きなお寺で見られる五重の塔や五輪の塔、また、墓地に立てる大きな板塔婆、施餓鬼供養などで御宝前に立てる簡易な木製の板塔婆があります。どの塔婆も五つの形から成り立っており、これは仏教では宇宙が地・水・火・風・空から成り立っており、人間はこの五つによって生かされていると考えられて、それぞれを下から地(四角)・水(円)・火(三角)・風(半円)・空(宝珠)の形にして現したものです。

現在の日本では、一般的にこの卒塔婆に追善供養のために文字を書き、おの脇に立てたり、お寺の御宝前に立てて先祖や故人の供養をします。これは、近代になって行われてきたものではなく、昔から行われてきた追善供養の形でした。

日蓮大聖人が佐渡流罪の最中に幼い娘を亡くし、夫婦で信徒になった中興入道と呼ばれる方がいらっしゃいました。佐渡流罪を解かれ、身延山に入られた日蓮大聖人に娘の十三回忌をお願いするために、中興入道は妻に送られ身延へと向かいました。無事に十三回忌の追善供養も終わり、日蓮大聖人は中興入道の妻にこんな手紙を出しました。

「あなたがた夫婦は、法華経を信じ、この日蓮を養ってくれた。しかも、わが娘の仏事を営み、亡き父母にも孝養を尽くされた。あなたは、これからも、正面に南無妙法蓮華経と書き表わした丈六の卒塔婆を建てて幼い子に供養なさるがよい。この卒塔婆は北風が吹けば、南の海にいる魚たちがそのお題目の風に触れて大海の苦しみから脱し、東風が吹き来たればその反対の西山の鳥や鹿がその風に身を触れて畜生道という苦しい世界を免れて天上界に生まれることができるのである。まして、卒塔婆に随喜をし、手を触れ眼で見る人達の功徳は尊い。現世には寿命を延ばし、死後には父母らと共に霊前浄土に参ることはいうまでもない」

卒塔婆を立てるということには、このような功徳があると日蓮大聖人も仰っております。彼岸やお盆は、亡くなった方の世界とこちらの世界が近くなる期間です。想う方のために南無妙法蓮華経と書いた卒塔婆を立てて追善供養をし、また再会できる日を楽しみに功徳を積まれてください。卒塔婆のお申し込みは当日でもお受けいたします。お誘い合わせの上、お参りください。

三月十一日、午後二時四十六分頃、三陸沖を震源として国内観測史上M9.0という未曽有の大地震が発生しました。沢山の方が亡くなり、未だ行方不明の方も多く、苦しむ方も多数いらっしゃる中、私たちは仏教徒として天災が鎮まることを、お一人でも多くの命が助かること、亡くなられた方の御冥福を祈るとともに、この世界に仏様から遣わされた仏の子どもである私達はお互いに助けあわねばなりません。熊本の日蓮宗青年会は、東北・関東大震災救援行脚を敢行し、義援金集めに熊本市内を行脚し街頭で呼びかけました。この行脚は日曜ごとに熊本県の主要な場所を回り、協力を呼び掛ける予定です。3月13日、熊本市内で行われた行脚に参加して参りました。当山におきましても、この度、東日本大震災救援の為の義援金を皆様にお願いし、春季彼岸施餓鬼法要の際に募金箱を設置させていただきます。この義援金は日蓮宗を通じまして、被災地へお届け致します。

この状況下、私達が今しなくてはいけない大切な事は何でしょうか?テレビでは毎日のように不安を掻き立てる整理されていない情報が流され、都会では日用品の品切れや放射能の誤情報に惑わされるなどのパニックが発生しています。

安易に不安を煽るテレビに惑わされることなく、しっかりと自分で考え、自分のできる範囲で被災地の方の為にできることをやる。一番大切なのは、ちゃんと普段通り生活するということです、普通通りに暮らし、経済活動を行う。被災地の方々が経済活動できない以上、できる人が働きお金を使って生活をしていかねば日本は立ち行きません。七~八百年前にも同じ規模の地震が起こったという事がニュースでやっておりました。その時代は日蓮大聖人や親鸞聖人、鎌倉仏教の祖師達が天災や疫病、苦しむ人々を何とか救おうとそれぞれの教えを説いて人々を救った時代です。日蓮大聖人は未曽有の大災害の原因は、政治や人の心、宗教が乱れたからであると仰られ、人々を救うために布教されました。今、現代同じように社会は乱れています。しかし、私達の文明は当時よりも段違いに発達しています。必ず復興を成し遂げることができるでしょう。それと同時に私達はこの時代、日蓮大聖人が見てこられたであろう未曽有の大災害と向き合い、この問題に法華経の人が互いに敬い、慈しみ、助け合う精神でもって日本人全体でに取り組まなければならないのです。

先日テレビを見ていますと、とある番組で石原都知事が、日本衰退の原因として「今の日本人は、政治家にしても役人にしても、企業人にしても誰しも、一番強いアイデンティティが『我欲』になってしまった、このことが日本の衰退の原因である」と仰っていました。 

 「我欲」とは一体なんでしょうか?辞書で調べてみますと、我欲とは、「自分一人の利益、満足だけを求める気持ち」と載っておりました。自分さえよければよいという個人主義、利己主義、またはエゴイズムと同じような意味でしょう。 

 

欲望を全て否定して生活するのは不可能であり、人間が人間として生きるためには、ある程度の欲望は必要です。今の社会は便利さと人のニーズに合わせて、不自由さを解消するためにどんどん新しい商品や新しい商売が産まれています、豊かな社会を追い求めて、ある程度のお金があれば大抵何でも欲望を満たすことは可能になりました。

 しかし、人の欲望は収まることを知りません。欲望というものは満たされればその場は満足しますが、また新しい欲望が次から次へと湧き上がるものです。そうしているうち、何かを得る代わりに自然と大切な何かを失っていくものです。

 イソップ物語にこういうお話しがあります。

あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。

ある朝、おばあさんがびっくりしておじいさんに言いました。

「おじいさん、大変です!うちのめんどりが、黄金の卵を産みましたよ」

「どれどれ、本当だ!

 めんどりは、毎日一つずつ、金の卵を産みました。それは、街で売ると大変高いお金で売れました。

貧乏な二人は大変な大金持ちになりました。しかし、だんだん欲が出てきました。

「毎日金の卵を生むくらいだ!体の中にはまださぞかし金がいっぱいあるにちがいない!」

おじいさんはめんどりを殺してお腹の中を調べました。

しかし、お腹の中には金のかけらもありません。普通のにわとりと同じでした。

 

妙法蓮華経普賢菩薩勧発品という妙法蓮華経第二十八番目のお経の中に、『少欲知足』という教えが出てきます。

文字通り欲を少なくし、足ることを知るという意味です。「知足」とは、「私はもうこれで十分です、こと足りました」と知ることを言います。もっと、もっと、と欲望を膨らますのではなく、もうこれで十分だ、これくらいにしておこうという心を持つことです。ものに溢れて、欲望を無駄に掻き立てる社会に踊らされずきちんと自分を持って生きること。そのことによって欲は少し小さくなります。

欲が小さくなればその分、満たされた心のまま生きることができますので毎日幸せに生きることができます。

 先ほどのお話しにでてくるおじいさんおばあさんも「これで十分だ」という心があればそのまま豊かに幸せな生活ができたことでしょう。

社会が発展し豊かになることは確かに大切なことです。しかし、上手に欲望と付き合っていかなくては、大切なものを見失い、行きつく先は破滅しかありません。あくなき欲望をコントロールし、幸せに暮らす生き方は仏様の教えです。どうぞ、ご精進ください

 

本日11:00より荒尾市上井手の「日蓮宗 正覚寺」におきまして、水行式・正月大祈祷会が執り行われました。寒さは厳しかったものの昨日までの暴風雪もすっかり止み、天候にも恵まれました。

熊本の各地より五名の日蓮宗修法師が出仕し致しました。正覚寺のご住職さまとは、当山の法要に出仕していただいたり、様々な面でお世話になっております。

                                                                ご住職が、大祈祷会の後「鬼子母神様は、一般的に、子どもを守る神様として知られています。けれども子どもだけを守る神様ではないんですよ。私たちはいくつになっても、仏さまの子どもなのです。だから、鬼子母神様は私たちを常に守っていてくださるんですよ。だからしっかり鬼子母神さまを頼ってお参りをされてください」というお話をされました。

 

ウサギの耳

| ちょっとしたお話 |

先日、昨年プリウスの問題で揺れた「トヨタ」の社長が

「今年はうさぎ年ということもあり、ウサギのように大きな耳で人の話にしっかりと耳を傾けて、真摯に受け止め、そしてウサギのような跳躍力を持って挑んでいきたい」とテレビのインタビューで今年の抱負を語っていらっしゃいました。

ウサギの大きな耳は、音を集めるアンテナの役目をしており、耳は大きい程たくさんの音を集めることができるので、長い耳のアンテナを使い、しっかりと耳を傾けかすかな物音も聞きのがさないようにしているそうです。

私達は、人の話を聞くときに興味のある話ならば、「なるほど、なるほど」とすらすらと頭の中に入ってくるのですが、どうしても興味のない話や、自分にとってバツの悪い話や耳の痛い話ほど、なかなか頭には入ってこず、聞こえてはいても、結構聞いていないものですね。だからこそ、話をしているその人が一体何を言いたいのか、自分に何を伝えたいのか?しっかりと耳を傾けて、共感し、受け入れようとする態度も時には必要なんです。

人と人との信頼関係を築くうえで人の話に共感し、しっかりと耳を傾けることは大切な事の一つです。自分の価値観にとらわれずに、相手を受け入れて、共感しその人の話にしっかりと文字の如く耳と目と心できく。このことを「傾聴」(けいちょう)と言います。

お経も、よく「お経ってのは一体何が書いてあるんですか?よくわかりませんね~」と言われます。確かに・・・お経は漢文で書いてあり、お坊さんも漢文で読むことが多いので聴いている方もわからないのはごもっともです・・・。

お経というのは要約して言えばお釈迦様が私達をあらゆる苦しみから救うために説かれたお言葉なのです。皆さんがいつも読まれていらっしゃいます、『妙法蓮華経如来寿量品第十六』お自我偈の中には「衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず、而も実には滅度せず。常に此に住して法を説く」【(訳)私は人々を救うために、あなたたちの眼には肉体は滅んだように見えていても、実際には死ぬことなく、この世界から片時も離れず教えを説き続けているのだよ。】というお釈迦様の言葉が出てきます。

実は、お釈迦様は絶えず今でもこの世界から教えを説き私達を救おうと常に働き掛けていてくださっているんです。けれども私達はそんなお釈迦さまの声に気づけていない。それは、お経の意味を「わからない」と遠ざけて、お釈迦様が何を仰りたかったのかをきちんと聞こうとしていないからかもしれません。

お釈迦様が教えを説かれるのはお経の中だけではありません。日常生活の色んな場面、悲しい出来事があったり、幸せな出来事があったり、素晴らしいい場面に出くわしたり、その場面場面で人の愚かさや人の優しさ、人の素晴らしさ、人生の素晴らしさに改めて気づかされることがありますね。その時々で、心を澄まし、耳を大きく聞こうとすれば、きっと私達を導こうとしていらっしゃるお釈迦様の声が聞こえてくることでしょう。

信じること

| ちょっとしたお話 |

11月に入り、朝、晩と急に寒さが厳しくなってまいりました。

旧暦ではもう季節は冬であり、この時期になると霜が降りますもので「霜月」と呼ばれました。

今年は夏が大層暑く、寒暖の差が大変激しいものですから身体の調子を崩される方も大変多くいらっしゃいます。何事も身体が基本でございますで、どうぞよろしくご自愛いただきたいと思います。

私も毎日お経を読んだり、お話をさせていただいたり何かと声を使うもので、風邪をひいてしまうとすぐ喉に症状がでて、声が出にくくなるものですからなるべく体調管理をしっかりしなくてはいけないなと心がけています。

お話をするにあたっても、先生や諸先輩方からお話の基本であります、「かた」が大事と言われました。まず「かた」というものを勉強しなさい、そのかたに血が通う事によって「かたち」になるのだよと、お話の組み立て方や喋り方や振る舞い方から習います。1声 2節 3姿であると何度も何度も指導を受けました。

 今の時代・・・。ちょっと古臭くも感じられるかもしれませんが、昔から、結婚する時は「花嫁修業」と申しまして、お嫁に行く時はあちらの家に失礼のないように、何事も基礎が大切と親が我が子に躾だとか、礼儀作法などのような基本的なことを教え込みました。

江戸の小話にこんなお話しがございます。

 今まで自由奔放に育ってきた一人娘に急に縁談が持ち上がった。お嫁に参りますので、お母さんが娘に言いました。
「お前は言葉づかいが悪いから、気をつけるんだよ。言葉の前には『お』の字をつけて、丁寧に言うんだよ!」
「『お』の字をつけて言えばいいんだな。わかった!」
 それから無事に結婚式が終わり、娘はお嫁さんになりました。
 次の日、娘はお姑さんに言いました。
「お台所の、おすりこぎ棒が、お風に吹かれて、おころん、おころんと、おなっております」
 それを聞いたお姑さんが、娘に注意しました。
「丁寧なのはいいが、そんなに何にでも『お』をつけるもんじゃないよ」
 しばらくして娘が里帰りをした時、その時の話しをするとお母さんは言いました。
「それは、お姑さんの言う通り。あんまり『お』ばかりつけるのも、おかしいよ」
「『お』をつけると、おかしいんだな。わかった」
 娘が里から帰ると、お姑さんが聞きました。
「里では皆さんおかわりなかったですか?」
 娘はお母さんから、あまり『お』をつけるなと言われたのを思い出して答えました。
「はい、やじも、ふくろも、元気でございました」
 これには、お姑さんもあきれてしまいました。
 そしてこんな娘では困ると、とうとう里に帰されてしまったそうです。

 物事には基礎が大切。基礎というものはきちんと最初から身につけておかないとおかしなことになるもんです。実は、仏教も基礎というものが大切なんです。

 日蓮宗のお経、二十八章あります中で、一番重要とされている第十六章、如来寿量品第十六の冒頭の部分に、こんな言葉が出てきます。

「諸々の善男子、汝等当に如来の誠諦の言葉を信解すべし」

お釈迦さまが弟子達に「まず疑いの心を捨てて私真実の言葉を語るのを信じなさいよ」とこれが、三度に渡って繰り返されます。この寿量品では、お釈迦様が過去、現在、未来に渡って私達の傍にいてくださり、常に私たちを何とか救おうと働きかけてくださっている、永遠の存在であることがお釈迦様の口から明らかにされます。

言葉というものは完全なものではありません。想いを言葉で表現するには限界があり、不十分です。しかし、私たちは完全な以心伝心はできませんので、言葉がなくては表現できません。だからこそ、聞くこちら側の「信じる」というものが基本であり、この「信じる」が実は仏教で言いますところの一番大切な基礎になってくるのです。

日蓮大聖人もお手紙の中で、「信なくしてこの経を行ぜんは手なくして宝の山に入り、足なくして千里の道を企てんがごとし」と説かれています。「信」があるからこそ、宝の様な尊い教えを感じることができるんです。

 何事も基礎をおろそかにすると、大切なものをつかむことはできないんですね。

お会式

| ちょっとしたお話 |

旧暦十月十三日は日蓮大聖人の御命日です。毎年十~十一月には日蓮大聖人を偲び全国各地でお会式法要が執り行われます。日蓮大聖人の晩年は六年間にもわたる「はらのけ」と呼ばれる腹痛、下痢、痩せ病の闘病生活でした。病状は徐々に悪化をたどり、あわやというところまで何度も症状は進むのですが強靭な精神力でもって何度も乗り越えられ最後の最後まで前向きに生きられ、布教活動、弟子・檀信徒の教育に勤められたのです。

例え、現代でも、六年に渡る闘病、致命的な状態が続くというならば、体力も気力も衰え、下手をすると寝たきりの状態になりかねません。しかし、今よりもはるかに医療水準も栄養状態も現代とは比べようもならない七〇〇年も前に、御自身の病気と向きあわれ、その辛さや苦しみというものと向き合われ、大聖人の身を案じて贈り物が檀信徒から届くと必ず御返事を書かれ、周囲から受ける温情への感謝の気持ちを檀信徒の方々へいくつもお手紙の中で述べられています。

その中の一つ「波木殿御報」というお手紙を紹介します。

日蓮大聖人が身延の地から療養の為に常陸へと湯治へ出かけられ、旅路で症状は悪化し、今の池上本門寺がございます場所で病床に着かれたのです。最後に、病床の渕にて、筆を持つ事までできなくなられ、日興上人が代筆されたこのお手紙の中、当時身延の地を治める領主であり、日蓮大聖人にあつく帰依していた波木井実長にこのようなお手紙を出していらっしゃいます。このお手紙が日蓮大聖人が檀信徒に出された最後のお手紙になりました。

『謹んで申し上げます。身延を出発して以来、道中は何事もなく武蔵国池上に到着いたしました。道中の間、山あり河ありで、はなはだ困難な旅でしたが、貴殿の御子息たちに守護していただき、無事に池上まで着きましたこと、まことにありがたく悦ばしく思っています。この道は病気が平癒すれば、身延帰山の道になるとは思いますが、病気の身ですから、必ず帰山できるかどうかは定めなきことで、あるいはお会いできないかもしれません。しかしながら、日本国中があれほど持て余していたこの日蓮に、九ケ年もの間、御帰依くだされた御志はまことにありがたく、たとえどこで死にましても、墓は身延の沢に造っていただきたいと存じます。

また、貴殿からお世話いただいた栗鹿毛の馬は大変愛着を覚えますので、いつまでもそばにおきたいと思います。常陸の温泉まで連れていきたいのですが、人に盗られてしまうかもしれませんし、またつらい思いをさせてはかわいそうなので、常陸の温泉から帰るまで上総の斉藤兼綱殿のもとに預けておくことにしました。しかし、馴れない馬の世話方をつけたのでは不安ですので、私が帰るまでは貴殿が差し向けられた世話方をつけておきたいと思います』

大聖人はとかくに力強い、論戦好きであるというイメージがどうしても強いですが、このお手紙の中では、波木井実長より贈られて一緒に身延から旅してきた馬にまで温情をかけらおられ、様々な檀信徒へのお手紙を読みますと、御自身の最後と向き合いながらも、大聖人の全てを包み込むような優しさが伝わってまいります。

このお手紙を出された同月九月二十五日に参集した門下の人々に最後の談義として「立正安国論」を講じられ、翌月八日、自分亡き後の教団を託す六人を決められ、十二日、お釈迦さまが北の方角に向かって臨終を迎えられたのにならいご自身も北に向かって座され正面には大曼陀羅、かたわらには常に携えてこられたお釈迦様の像、弟子檀信徒が法華経を読誦し続ける中、十三日の午前十時頃に御入滅されたのです.

十一月八日は当山でも「宗祖日蓮大聖人お会式法要」が執り行われます。私たちが「南無妙法蓮華経」とお唱えすることによって故人、御先祖様を供養できるのも、お題目によって「なんとかお救いください」と祈願できるのも日蓮大聖人が度々のご法難にあわれながらも、御自身のお命をかけて法華経、お題目を弘められたからです。その御恩に感謝しながら各地でおこなわれます「宗祖日蓮大聖人お会式法要」にどうぞすすんでご参詣ください。