先日、昨年プリウスの問題で揺れた「トヨタ」の社長が
「今年はうさぎ年ということもあり、ウサギのように大きな耳で人の話にしっかりと耳を傾けて、真摯に受け止め、そしてウサギのような跳躍力を持って挑んでいきたい」とテレビのインタビューで今年の抱負を語っていらっしゃいました。
ウサギの大きな耳は、音を集めるアンテナの役目をしており、耳は大きい程たくさんの音を集めることができるので、長い耳のアンテナを使い、しっかりと耳を傾けかすかな物音も聞きのがさないようにしているそうです。
私達は、人の話を聞くときに興味のある話ならば、「なるほど、なるほど」とすらすらと頭の中に入ってくるのですが、どうしても興味のない話や、自分にとってバツの悪い話や耳の痛い話ほど、なかなか頭には入ってこず、聞こえてはいても、結構聞いていないものですね。だからこそ、話をしているその人が一体何を言いたいのか、自分に何を伝えたいのか?しっかりと耳を傾けて、共感し、受け入れようとする態度も時には必要なんです。
人と人との信頼関係を築くうえで人の話に共感し、しっかりと耳を傾けることは大切な事の一つです。自分の価値観にとらわれずに、相手を受け入れて、共感しその人の話にしっかりと文字の如く耳と目と心できく。このことを「傾聴」(けいちょう)と言います。
お経も、よく「お経ってのは一体何が書いてあるんですか?よくわかりませんね~」と言われます。確かに・・・お経は漢文で書いてあり、お坊さんも漢文で読むことが多いので聴いている方もわからないのはごもっともです・・・。
お経というのは要約して言えばお釈迦様が私達をあらゆる苦しみから救うために説かれたお言葉なのです。皆さんがいつも読まれていらっしゃいます、『妙法蓮華経如来寿量品第十六』お自我偈の中には「衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず、而も実には滅度せず。常に此に住して法を説く」【(訳)私は人々を救うために、あなたたちの眼には肉体は滅んだように見えていても、実際には死ぬことなく、この世界から片時も離れず教えを説き続けているのだよ。】というお釈迦様の言葉が出てきます。
実は、お釈迦様は絶えず今でもこの世界から教えを説き私達を救おうと常に働き掛けていてくださっているんです。けれども私達はそんなお釈迦さまの声に気づけていない。それは、お経の意味を「わからない」と遠ざけて、お釈迦様が何を仰りたかったのかをきちんと聞こうとしていないからかもしれません。
お釈迦様が教えを説かれるのはお経の中だけではありません。日常生活の色んな場面、悲しい出来事があったり、幸せな出来事があったり、素晴らしいい場面に出くわしたり、その場面場面で人の愚かさや人の優しさ、人の素晴らしさ、人生の素晴らしさに改めて気づかされることがありますね。その時々で、心を澄まし、耳を大きく聞こうとすれば、きっと私達を導こうとしていらっしゃるお釈迦様の声が聞こえてくることでしょう。