お会式

| ちょっとしたお話 |

旧暦十月十三日は日蓮大聖人の御命日です。毎年十~十一月には日蓮大聖人を偲び全国各地でお会式法要が執り行われます。日蓮大聖人の晩年は六年間にもわたる「はらのけ」と呼ばれる腹痛、下痢、痩せ病の闘病生活でした。病状は徐々に悪化をたどり、あわやというところまで何度も症状は進むのですが強靭な精神力でもって何度も乗り越えられ最後の最後まで前向きに生きられ、布教活動、弟子・檀信徒の教育に勤められたのです。

例え、現代でも、六年に渡る闘病、致命的な状態が続くというならば、体力も気力も衰え、下手をすると寝たきりの状態になりかねません。しかし、今よりもはるかに医療水準も栄養状態も現代とは比べようもならない七〇〇年も前に、御自身の病気と向きあわれ、その辛さや苦しみというものと向き合われ、大聖人の身を案じて贈り物が檀信徒から届くと必ず御返事を書かれ、周囲から受ける温情への感謝の気持ちを檀信徒の方々へいくつもお手紙の中で述べられています。

その中の一つ「波木殿御報」というお手紙を紹介します。

日蓮大聖人が身延の地から療養の為に常陸へと湯治へ出かけられ、旅路で症状は悪化し、今の池上本門寺がございます場所で病床に着かれたのです。最後に、病床の渕にて、筆を持つ事までできなくなられ、日興上人が代筆されたこのお手紙の中、当時身延の地を治める領主であり、日蓮大聖人にあつく帰依していた波木井実長にこのようなお手紙を出していらっしゃいます。このお手紙が日蓮大聖人が檀信徒に出された最後のお手紙になりました。

『謹んで申し上げます。身延を出発して以来、道中は何事もなく武蔵国池上に到着いたしました。道中の間、山あり河ありで、はなはだ困難な旅でしたが、貴殿の御子息たちに守護していただき、無事に池上まで着きましたこと、まことにありがたく悦ばしく思っています。この道は病気が平癒すれば、身延帰山の道になるとは思いますが、病気の身ですから、必ず帰山できるかどうかは定めなきことで、あるいはお会いできないかもしれません。しかしながら、日本国中があれほど持て余していたこの日蓮に、九ケ年もの間、御帰依くだされた御志はまことにありがたく、たとえどこで死にましても、墓は身延の沢に造っていただきたいと存じます。

また、貴殿からお世話いただいた栗鹿毛の馬は大変愛着を覚えますので、いつまでもそばにおきたいと思います。常陸の温泉まで連れていきたいのですが、人に盗られてしまうかもしれませんし、またつらい思いをさせてはかわいそうなので、常陸の温泉から帰るまで上総の斉藤兼綱殿のもとに預けておくことにしました。しかし、馴れない馬の世話方をつけたのでは不安ですので、私が帰るまでは貴殿が差し向けられた世話方をつけておきたいと思います』

大聖人はとかくに力強い、論戦好きであるというイメージがどうしても強いですが、このお手紙の中では、波木井実長より贈られて一緒に身延から旅してきた馬にまで温情をかけらおられ、様々な檀信徒へのお手紙を読みますと、御自身の最後と向き合いながらも、大聖人の全てを包み込むような優しさが伝わってまいります。

このお手紙を出された同月九月二十五日に参集した門下の人々に最後の談義として「立正安国論」を講じられ、翌月八日、自分亡き後の教団を託す六人を決められ、十二日、お釈迦さまが北の方角に向かって臨終を迎えられたのにならいご自身も北に向かって座され正面には大曼陀羅、かたわらには常に携えてこられたお釈迦様の像、弟子檀信徒が法華経を読誦し続ける中、十三日の午前十時頃に御入滅されたのです.

十一月八日は当山でも「宗祖日蓮大聖人お会式法要」が執り行われます。私たちが「南無妙法蓮華経」とお唱えすることによって故人、御先祖様を供養できるのも、お題目によって「なんとかお救いください」と祈願できるのも日蓮大聖人が度々のご法難にあわれながらも、御自身のお命をかけて法華経、お題目を弘められたからです。その御恩に感謝しながら各地でおこなわれます「宗祖日蓮大聖人お会式法要」にどうぞすすんでご参詣ください。