» ちょっとしたお話

先日2月3日に山口県豊浦の龍泉寺にて 節分星祭りが執り行われ、住職と祈祷会に出仕してきました。

ここ龍泉寺は 日本最大稲荷の一つ 岡山県 最上稲荷山 妙教寺の奥の院 龍王山にある龍泉寺の流れをくむ由緒あるお寺で、実は住職の故郷でもあります。龍泉寺は妙国寺住職の兄が住職をされており、私も小さいころから祖父のお墓まいりを兼ねて何度も遊びに行ったものです。

鳴滝山 龍泉寺にはその名の通り修行の為のうたせ滝が境内にあります。お寺自体も大変静かな山の中にあり、参道を通り、滝の前まで来ると大変神秘的な気持ちになります。

川棚温泉も近くにありますので、お近くに来られた際は是非お参りください。

 

     菊房数珠         装束数珠

先日、月回向に言った時、とある檀家さんが、 

「つい先日買った数珠がもう切れてしまいました、何か悪いことが起こるのでしょうか?」と、心配気に仰っていました。 

なるほど・・。

下駄のハナオが切れたら縁起が悪いという昔ながらの言い伝えのような感じなのでしょうか・・。 考えてみると私たち僧侶としては数珠というのは毎日当たり前の様に使用していますが、普段から数珠を毎日のように使っているという方はなかなかいらっしゃらないでしょう。 

お通夜かお葬式、法事の時に使う程度でしょうか・・・今は葬祭場で数珠のレンタルもしていますし・・・。自分の数珠というのを持っていらっしゃる方も少ないのではないでしょうか?そんな貴重な存在の数珠が切れてしまったら。確かに、良い気分ではありませんよね・・・。 

 「いやいや、意外と数珠って切れたり、ほつれたりするものですよ!私なんか毎日使っているでしょう?案外そういうことってあるもので、その度に悪いことが起こっていたら、悪いことだらけになってしまいますよ!大丈夫です!それだけ熱心にお詣りをされているということですよ!仏具屋さんに持っていけば直していただけますよ。」

と、その場は笑い話に終わりましたが・・・。

 さてさて、数珠の歴史というものは実は古く、3500年以上前から存在するそうです。数珠は古来より仏様と心を通い合わせる道具として広く使用されてきました。数珠にはこんな由来があります。

 お釈迦様が霊鷲山という場所でお説教をされていたとき、ある国の王様がお釈迦さまを訪ねてきました。

「お釈迦様、自分の国は小さく、そして盗賊も多く、疫病も流行っています。そして人民は非常に苦しんでいます。なんとかならないものでしょうか?この苦しみから救われるように自分達にもできる修行を教えてください」

するとお釈迦さまは、「ではモクゲンジの実を108個通して環をつくり、これを常に体から離さずに、仏様の名前を念じなさい」

お釈迦様はこのように仰られました。そして王様は早速たくさんの数珠を作り、自分も仏様に一生懸命お祈りしてその国は平和になりました。というお話です。

 数珠には108個の珠があります。そしてどの宗派でも108個を環の形にしてものが正式とされていますが、宗派によって形も数珠を用いる意図も異なります。

何故108個かと言いますと・・、基本的な意味あいとしては、数珠とは念珠ともいいまして、元々呪文によって108の煩悩を退治するために、唱える呪文の数を勘定する目的で作られました。珠の中をつらぬいている糸は丁度仏様の心を我々の心の中に通しているのであって、それを円く輪にしてあるのは、心が円く、素直になることを意味しているのです。

 日蓮宗の数珠は大別して装束数珠と菊房数珠との二種類があります。装束数珠は僧侶が儀式で用い、菊房数珠は僧侶、檀信徒共に用います。この数珠の珠には大きい珠と小さい珠があり、大きい珠を親玉、母珠といい、お釈迦さまを意味しています。その他の108の珠を諸仏や菩薩に例え、緒留の珠で結び合わせて、仏の世界を表しています。したがって、数珠を持つというのは自分が仏の世界にいることを意味しているのです。

他の宗派、例えば浄土真宗さんも僧侶が儀式で使用する数珠と檀信徒が用いる数珠とは違いがあるようで男性用、女性用と房に違いがあるようです。

 このように数珠は宗派によって様々な意味があり、仏事には欠かせないものなのです。ただ単に、仏事のアクセサリーというわけではありません。

 以前こんなことがありました。

 ある若い女性の方が、「私は母親から数珠をもらいました。この数珠は亡くなった祖母がお詣りをする時に家族の健康を祈って使っていたもので、それを20歳になった時、母が祖母から受け継いで大事に御守りとして肌身離さず持っていました。今度は20歳になった私が受け継いで御守りとして大切にいつも鞄の中にいれて持ち歩いています」と、受け継がれてきた数珠を見せていただきました。

 数珠には、仏教上の大切な意味とともに、誰かを大切に想う気持ちも込められているのです。数珠が受け継がれていくことによってその想いが次の世代へと受け継がれていくんです。

 最近では法事の際にも数珠を手にしない人も少なくないように見受けられるようになってきました。どうですか?せっかく縁があって仏教徒になったのです。御自分の数珠を持ち、御仏壇の前で祈りましょう!そして、それに想いをこめて次の世代へと託しませんか? 

               参考文献 「仏教 早わかり百科」 著 ひろ さちや

                                「日蓮宗のしきたりと心得」 全国日蓮宗青年会 監修

一月八日 正月大祈祷会 水行式)

今年は厄年に当たり、お祓いを受ける方もいらっしゃると思います。今回は厄年についてちょっとお話します。

まず、厄年は数え年で計算します。この数え年というのは、生まれた時を一歳として、元日が来るたびに一歳プラスするという数え方です。ですから、元日から誕生日前日までの数え年の計算は 満年齢プラス二 誕生日から十二月三十一日までの数え年の計算は 満年齢プラス一 をすることになります。これは仏教などの母親のお腹の中にいる時も人間は生きているという考え方により十月十日も年齢に加算されたものです。

 厄年とはもともと平安時代の陰陽道の考えに基づいて広まったもので、災難や不幸に出会う事が多いとされる男女の年齢を指します。厄年は一般的には数え年で男子が二十五歳、四十二歳、六十一歳、女子が十九歳、三十三歳、三十七歳、(六十一歳)とされています。特に男の四十二歳は「死に」、女の三十三歳は「散々」に通じるということで、一生の中でも大厄とされ、厄年の前年の前厄、厄年の後半のはね厄と合わせて前後三年間続くとされます。

 日蓮聖人は、日眼女という信徒にあてた手紙の中で、「そもそも厄というのは、たとえば人のつぎふし(関節)のようなものである。風は正面から吹けば弱く感じ、角から吹けば強く感じる。病も同じで肉より起これば治しやすいし、間接の部分から起これば治しがたい。(略)ふし(関節)の病をよく治せば寿命は長くなります」と説かれています。

確かに、厄年の頃の年齢というのは人生のつぎふし(関節)、特に大事な節目の時期と言えるでしょう。一般的に男女ともこの年齢になると、体調の面でも、精神的な面でも、または社会的役割の点でも大きな変化が出やすいようです。

さらに、厄年について日蓮聖人は、厄の年、災難を払ってくれる秘法こそ法華経である。たのもしいことである、たのもしいことである。なぜならば、法華経を持つ者はお釈迦様の子どもであるので仏をはじめ諸天善神も皆守ってくれること間違いない「当年の大厄をば日蓮に任せ給へ」とも仰られています。(太田左衛門尉御返事)

人は生きてく中で様々な縁によって生かされています。この縁が良いものなら問題ありません、しかし、悪いものがたまに入ってくる、厄年というのは、人生のつぎふしの時期、この大切な時期に悪い縁が入ってきたなら、大変なことになります。なので、この悪い縁を未然に防ぎ、そしてもし入って来ても大難は小難に、小難は無難にと法華経の功徳をもってお祓いするのが厄年の厄払いと言われるものなのです。                                                              

                             義専

                            参考文献 「常に悲観を懐いて」  著 星 光喩

とうとう今年も最終日になってしまいました、今日は大晦日。今年も残すところわずかですね。

 今年あんまり良いことがなかったという方にも、今年は良い年だったなぁ・・・。という方にも、平等に新しい年はやってきます。

 古来より日本では「正月」というのは、「正月さま」「歳神さま」と言われる、その年の福徳を司る神様を家に迎える日なのです。現在でも残っている門松飾り、しめ縄などの正月飾りは幸運を授けてくださる「正月さま」を家に迎えるにあたってのものなのです。そして、正月には、今では数え年と言いますが、皆が一緒に歳を一歳とる日であったのです。

新しい年を新しい気分で迎える。

 昔見た「有頂天ホテル」という映画の中で汚職に巻き込まれ、命を断とうとする政治家に、篠原涼子さんがこんな台詞を言っていました

 「何のために大晦日があると思うの? 年が替わればいいこともある。新年を迎えれば新しい自分になれるわ」

 この一年、ほんとついてなかった・・・来年もどうせいい年じゃないんだろうな・・・。こんな風に思う方もいらっしゃるでしょう。

 この言葉は「一夜賢者経」というお経、お釈迦様の言葉です。

 「過ぎ去れるを追うことなかれ、未だ来らざるを願うことなかれ。

過去、そは既に捨てられたり。未来、そは未だ到らざるなり。

 されば、ただ現在するところのものを、その所においてよく観察すべし。

 揺らぐことなく、動ずることなく、それを見極め、実践すべし。

 ただ、今日まさに作すべきことを熱心に作せ。

 たれが明日、死のあることを知らんや。」

                       『マッジマ・ニカーヤ』

 簡単にいえば、【過去を追うな、未来を願うな、過去は既に捨てられた、未来はまだやってこない。だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践すべし。】ということです。

 もうあと何時間かで新しい年になります。過去や未来の不安に捕われずに、新しい気分で新しい年を、一日一日大切に歩んでいきたいものです。

 皆様、今年も一年お疲れ様でした。来年もよろしくお願い致します。 

                                      義専

                        参考文献 【 「狂い」のすすめ  著 ひろさちや】

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日々寒くなってまいりました。この季節になると、
山々も私たちに様々な顔を見せてくれます。

保育園に勤めていた頃の話です。この季節は公園に行くと、どんぐりの実や松ぼっくり、様々な色をした落ち葉集めに子ども達は夢中になります。それを持参したビニール袋に収集していく子ども達、よく、お母さん方が「保育園で着た洋服を洗濯したらポケットに入っていたんでしょうね、洗濯機の中がどんぐりだらけになりました~(笑)」と仰っていました。

そんなある日、私のクラスの三歳のSちゃんという女の子が滑り台の下で集めてきたドングリの実で遊んでいました。すると、「先生ちょっと来てください」と保育士の先生の声、よく見ると、その女の子を抱き抱えて一生懸命、鼻の穴をのぞいています。

「どうしたんですか?」「ドングリの実を鼻の穴に入れてしまったみたいなんです・・・」

これは一大事です。良く見ると小さいどんぐり一つ、綺麗に小さいの鼻の穴にジャストフィットしており、しかも、御丁寧にドングリの実の頭から鼻の穴に入れてしまったようで、丸くなっているドングリのお尻はツルツルすべってなかなか取り出すことができません。

あわてて片方の鼻の穴を抑え、「Sちゃん、ふんしてごらん。ふん!!」

sちゃんも頑張って「ふん、ふん」としますが、全くビクともしません・・・。

不思議ですね・・・。本当、何故、子どもはわざわざ、狭い鼻の穴に入れようと思うのでしょか・・・。悪戦苦闘しながらピンセットでようやく取り出し、鼻の穴を覗いてみると・・・・。なんと、今度はどんぐりの実の傘が外れて鼻の奥に残っているではありませんか・・・。

何故・・・よりによって、傘つきのどんぐりを・・・。

大人たちの慌てぶりに気付き泣きだすSちゃん・・・。「これはもう、病院にいきましょう」ということになり、御両親に電話します。

いつもお世話になっている近くの小児科の先生に耳鼻科を紹介してもらい、急いで耳鼻科に向かいます。園の外に一人だけ出られるというのが嬉しいのかこちらの心配はよそに、Sちゃんはなぜかご機嫌です。そして耳鼻科に到着、さっそく治療の椅子に抱っこして座り、「はい、じゃあ見せてね~」と先生が鼻の穴を見た途端、事の重大さに気付いたようです。

「お医者さん嫌だ~。いやだ~」泣き叫ぶSちゃん・・・。なんとかかんとか、看護婦さんに、抑えられながらようやく吸引機みたいなものが鼻の穴へ・・・・。「スポッ」という音と共に、出たドングリの傘・・・・。鼻の穴を消毒してもらい、ようやく治療も終わりました、病院から手をつなぎながら保育園まで帰る道、「Sちゃん、なんで鼻の穴にどんぐり入れちゃったの?」と聞くと「う~んとね、大事だったからだよ」と答えが返ってきました。

なるほど、大事だからかぁ・・・。

保育園につくとすっかりご機嫌になったSちゃんはまたドングリで遊びながら、何故か自分で作詞作曲した「ドングリを~鼻の穴に~♪入れたら~痛い~♪」と小唄を歌っていました。

子どもは自然を大切な友達の様に感じ、全身で遊ぶという気質というものを自然と持っています。公園等にいくと、そこに遊具がなくても自然に植物などで遊び始めるんですね。人間には幼いながらも、生きている動植物などを身近に感じ、大切にする心があるようです。

仏教では成仏するのが生命体に限定されているのではなく、この世のありとあらゆるものが仏になるのだよ、土も石ころも瓦礫も流れる川も水も風すらも人と同じく成仏の可能性を宿している。という「草木国土悉皆成仏」という教えがあります。

日蓮聖人も「観心本尊抄」というお手紙の中で

草木の上に色心・因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり」

心を持たない草や木が色心、色というのは、人間や動物や虫が持つ生成し、変化する物質作用という意味であり、一方、心とは精神作用という意味です。そして、原因があり、結果があるという、因果(譬えるなら、木は太陽や雨の恵み、山の養分によって成長し、そして二酸化炭素を吸って酸素を作ったり、生った実により森の小動物達を生かし、山を土砂崩れなどから守るという理)の法則。この、色心と因果を持っていないのでなければ、木像・画像を本尊として仰ぎ奉ることは成り立たないのだよ。とおっしゃっています。

色心と因果をもつのは私達だけではないのです。私達と同じように自然にも一つ一つ色心と因果が備わっているのですね。そのことを子どもの時、自然と触れ合っている時は直に感じることができるでしょう、しかし、徐々に大人になり自然と離れていく現代生活において私達は「大事だから」というような心を忘れてしまっているのではないでしょうか。平気で山は切り倒される、川は埋め立てられる、海は汚れていく、ゴミは平気で自然の中に捨てられるのが今の現状です。

毎日テレビを見て、テレビのコメンテーターやニュースにつっこみを入れて会話するのではなく、そこに、私達と同じように生きている自然と無言の会話というものをしてみましょう。

きっと自然の声が聞こえてくるはずです。

義専

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本日11月8日に、当山では宗祖日蓮大聖人お会式法要が執り行われました。

この日を境にして、当山の日蓮聖人像も冬支度をし、綿帽子をかぶります。

毎年11月8日のお会式から仏壇や本堂の日蓮聖人のお像に綿帽子をかけて冬支度をします。

これにはいったいどのような由来があるのでしょうか?

文永元年八月に故郷房州に戻り、母を見舞った日蓮聖人は、十一月には工藤吉隆の元に招かれました。その道中、小松原で地頭の東條影信らの手勢に襲われました。熱心な念仏信者であった東條影信は、師の道善坊にそむいてまで熱心に法華経を説く日蓮聖人に対して深い敵意を抱いていたのです。これは、四大法難のひとつ「小松原の法難」と呼ばれています。

一行は必死に防戦しましたが、お弟子の鏡忍坊、工藤吉隆らは討ち死にし、聖人ご自身も影信に切り付けられ、額に三寸ほどの疵をうけてしまわれました。そして奇蹟的に鬼子母神の御加護で救われた日蓮聖人は、夜道を逃れ、小湊山の近くに辿りつかれました。やがて、谷間の水で疵を洗い、経を読みながら、身を隠した岩窟の砂を疵口にぬって血を止めたということです。その翌朝、額に深い疵をおって岩窟に隠れている聖人の姿を見かけた「おいち」という老婆が、とっさに自らかぶっていた綿を聖人に差し上げたということです。

これが綿帽子の由来ですが、寒くなると痛んだであろう聖人を偲んで、秋のお会式から4月8日のお釈迦さまの誕生日まで聖人のお像に綿帽子をかぶせるようになったのです

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

これは明治36年生まれ、大正末期にすぐれた作品を発表し、26歳という若さでこの世を去った金子みすずさんという童謡詩人の方の詩です。

みんなちがって、みんないい。

法華経の方便品第二には「諸法実相」という教えが説かれています。「この世の中で、あらゆるものすべてが真実のことを示すために存在している。世の中にあるものはすべて理由があって、みな存在している。世の中に不必要なものなどない。」という教えです。

私たちは何かとすぐないものねだりして、人を羨んだり、優越感を感じたり、メディアでは盛んに勝ち組、負け組だの揶揄したりして誰かと比べあっています。そんな私たちにお釈迦さまは、「そんな価値観を持つのはやめなさい。この世に存在しているものはすべてそのままで、そのままが素晴らしいのだよ・・・」とおっしゃっているのです。

つまりは、みんなちがってるし、そこがいいんじゃないかってことですね。

よく子どものころ「OOちゃんのお家だってOOちゃんのお家だってゲーム買ってもらったんだって~!いいな~うちもいいでしょ。買ってよ~」と言うと「よそはよそ、うちはうちでしょ。」と言って母親にたしなめられていました。子どもの頃はすごく理不尽に感じていたこのやり取り、今思えば、あながち間違いではないのかもしれません。

私たちが何かを判断する時に使用する自らの価値観・・・。それは本当に正しいものでしょうか?

この金子みすずさんの詩と方便品第二を読むと

狭い世間の価値観で良し悪しを判断して流されてはいけないよ。価値観をもっと幅広く持ちなさい。もっと大きな視野で物事を見なさい。

こんな声が聞こえてきそうです。             義専

「お経」と言われて皆さんは何を想像されますか?

お葬式の時にお坊さんが唱えるなんかよくわからないけど難しい言葉。

悪い霊とかを払う呪文。

などなど・・・。

一般的にお経とは何なのかよく知られていないのが現実です・・・。

仏教とは仏の教えという意味なのです。その仏とはお釈迦様のこと、お釈迦様は29歳の時に出家されて6年後、35歳の時に真理に目覚められ、悟りを開かれてから80歳で入滅されるまでの45年間様々な教えを説かれました。

その教えの数は膨大で、俗に八万四千の法門(教え)と言われ、数多くの種類がありますが、正確な数字は不明です。お釈迦様の時代には、その教えを記録に残すことはご法度だったようです。暗記だけが唯一の方法でした。お釈迦様が亡くなられた後、十大弟子と約500人の弟子たちが数々の尊い教えを正しく伝えていくために、その教えを編纂しようと集まりました。しかし、それは言葉を書き留めたわけではなく、お釈迦様の教えの内容に食い違いがないかをたがいに耳で確認しあっただけでした。そしてその教えは何百年も受け継がれていき、文字に記録されお経ができあがったのです。

つまり、キリスト教に「聖書」があるように、イスラム教には「コーラン」があるように、仏教徒のための教えが説かれた「経典」、お釈迦様の教えの言葉を弟子たちが何百年もかけてまとめたものがお経なのです。なので、お釈迦さまが説かれた教えの経典は必ず「如是我聞」(私はお釈迦様からこのように聞きました)という文句から始まっています。

なら、なぜ私たちお坊さんはお経を読むのでしょうか?

お釈迦様の時代やその入滅後、弟子たちはその教えの内容を確認しながら、経典の編纂を行うために、何度も声を出して経文を繰り返して読んでいたと考えられます。声を出して読むことにより経文を覚えて、お釈迦様の教えを学びとっていったのです。また、お経を読むこと自体に功徳力があると信じられて、考えられていました。日本では中国から経典が伝えられたこともあって、その当時の主流であった中国南方の発音の呉音でお経は読まれます。ただ、例外もあって、密教の経典には漢音でよまれるものもあるそうです。

というように、お経とは、実はお釈迦さまがなんとか私達の生きるうえでの様々な苦しみを救おうと、色々な場面や状況に応じた手立てを示してくださったのがお経なのです。

お経のどの部分を大切にするかによって日本の仏教の宗派が様々に分かれてきたのですが、元を戻せばひとつであり、すべてがお釈迦様の教えなのです。

お経をただ読むだけでもそれは大変功徳のあるものですが、お経の意味を知っていくと悩んだ時、苦しい時、いろんな場面で私たちを生きる道しるべとなるのです。

                                                           義専

*参考文献「仏教早わかり百科」

西遊記

| ちょっとしたお話 |

最近平日朝8時からテレビ東京にて「西遊記」の再放送がやっております。

僕が小学生のころでしょうか・・・再放送でよく見ていました。

リアルタイムでは1978年から1980年にわたって「西遊記」「西遊記Ⅱ」と放映されてたようです。

今は「西遊記Ⅱ」が放映されててもう物語も佳境を迎えようとしているのですが。

これが面白い!!内容も良ければ、ゴダイゴの歌もいいし、キャストも最高!

最近こんな面白いドラマはないなぁ・・・。

先週放映された内容、タイトルは「異説 鬼子母神由来記」

鬼子母神のお話をベースに西遊記にあわせた内容になってます。

ある村へやってきた三蔵法師一行

その村には子どもをさらってたべるという妖怪 鬼子母 が出没するという。

ちなみに鬼子母役は「和田あきこ さん」でした。妙にハマってました・・・。

村人たちの頼みを受けて悟空、八戒、沙悟淨は鬼子母のアジトに乗り込みますが、鬼子母はたいそう強く、

そしてアジトには鬼子母の子どもたちがたくさんおり、満足に戦うこともできない・・・。

困った三蔵法師はお釈迦様に力添えを頼みます。

お釈迦様は鬼子母の1000人いる子どもたちの中から鬼子母が最も可愛がっている一番末の子をさらって三蔵たちに預けます。

怒り狂った鬼子母は三蔵たちのもとへ乗り込んできますが、そこへお釈迦さまが現れて

「三蔵よ、その子をこの剣で刺しなさい」と剣を渡します。しかし、「できません」と断る三蔵。

今度は悟空を操り子どもを刺そうとします。「やめてください、お願いします」と泣き叫ぶ鬼子母。

結局剣は深々と刺さり、鬼子母の子どもは息絶えてしまいます。

泣き叫ぶ鬼子母。そこへお釈迦さまが

「鬼子母よ、その子を生き返らせたかったら、その剣で自分を刺しなさい。」

鬼子母は「本当に私が死ねばこの子は生き返るのですか」

と、決意を決めて自害します。抱き合いながら崩れおちる鬼子母と子ども。

「お釈迦様、ひどいよ、あんまりじゃないですか!」

と悟空が言ったその瞬間に天から綺麗な花びらが振ってきました。

そして子どもは生き返り、鬼子母もよみがえったのです。

そしてお釈迦様は

「鬼子母よ、おまえは1000人いる子どものうち、一人亡くなっただけでもそれだけ辛い思いをしなければならないのだ

人間の母親の持つ子どもの数は数人だ。一人欠けるとどれだけ辛い思いをしなければならないか・・・」

と鬼子母をいさめます。

号泣しながら鬼子母親子は抱き合います。

そして、ザクロの実を渡され

「人間が食べたくなったらこの人間の血の味に似ているザクロを食べなさい。」

「そしておまえは子どもを食べる妖怪ではなく、子どもの守り神となりなさい」

こうして鬼子母は子どもの守り神となり、さらわれていた子ども達も村に帰り一件落着。

というお話でした。お寺でも鬼子母神をお祀りしてあり、小さい頃から鬼子母神の伝承は聞いていましたが、

改めて映像でみると、とても感激でした。

鬼子母神の由来がお話になってたり日本の童話「泣いた赤おに」がベースになった内容とか

ほんと幅広い「西遊記」。もうあと何話かで最終回なのが残念。

朝の楽しみがなくなってしまいます・・・。

                              義専

妙国寺副住職でございます。

構想一年。 やってみようかな・・・。どうしようかな・・・。

でもあんな風にやってみたいな・・・。などなど考えながら月日は流れ・・・。

天高く心地よい秋風の元、ようやく妙国寺のホームページが開設できた喜びに浸っております。

この「ちょっとしたお話」では日々の事、さまざまなお話、法話等を徒然なるままに更新していこうと思っております。

どうぞお気軽にのぞいて行ってくださいね。

副住職  義専