今年も奇麗に咲き誇った桜の花も、もう熊本では徐々に散り始めています。ぱっと見事に咲き誇りぱっと見事に散りゆく桜の花、昔から日本人はそんな桜の花の美しさに憧れを抱いていたのでしょうか。昔から春になると桜を眺めながらの花見の宴会が行われてきました。かくいう私も学生時代、よく満開の桜の木の下仲間たちとどんちゃん騒ぎをしたものです。
春は出会いと別れの季節でもあります。そんな春の代名詞ともいえる「桜」、満開に咲いて、ひらりひらりと散りゆく姿をじっと眺めると、だれしもが青春の淡い思い出を彷彿させ、過ぎ去った時間に暫くの間酔いしれるのでしょう。
皆様よくご存じの、芸術家岡本太郎さんのお母さん、歌人「岡本かの子」さんの桜を詠んだ短歌を紹介します。
桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 生命(いのち)をかけて わが眺めたり
桜の花はまだ花弁が白いうちは散ることはなく、充分にその花弁を染めてからひらひらと舞い落ちるそうです。いのち一ぱいに咲くそんな桜だからこそ命をかけて眺める価値がある。
そのように気持ちで、咲き散る桜を見ると、「あなたはせっかくいただいた、その命を一日一日無駄にせず、いつか奇麗な色がつき、咲き散れる日がくるように毎日を一生懸命に生きていますか?」桜の木がそう語りかけてくるようです。
日蓮大聖人は法華経をまさしくご自分のいのちをかけて信仰された方です。当時、御自分の命を脅かす様々な迫害に遭われても「この法華経こそがお釈迦様が説かれた最高の教えである」と御自分の信念を貫かれました。生命をかけて守られた法華経の教えを受け継ぐ私達もまた生涯をかけて、その生命を感じながら信仰していかねばならない、そう思うのです。