» ちょっとしたお話

綿帽子のお話。

| ちょっとしたお話 |
Warning: Undefined variable $comments in /home/entrys06/myokokuji.info/public_html/news/wp-content/themes/entrys/archive.php on line 29

004

本日11月8日に、当山では宗祖日蓮大聖人お会式法要が執り行われました。

この日を境にして、当山の日蓮聖人像も冬支度をし、綿帽子をかぶります。

毎年11月8日のお会式から仏壇や本堂の日蓮聖人のお像に綿帽子をかけて冬支度をします。

これにはいったいどのような由来があるのでしょうか?

文永元年八月に故郷房州に戻り、母を見舞った日蓮聖人は、十一月には工藤吉隆の元に招かれました。その道中、小松原で地頭の東條影信らの手勢に襲われました。熱心な念仏信者であった東條影信は、師の道善坊にそむいてまで熱心に法華経を説く日蓮聖人に対して深い敵意を抱いていたのです。これは、四大法難のひとつ「小松原の法難」と呼ばれています。

一行は必死に防戦しましたが、お弟子の鏡忍坊、工藤吉隆らは討ち死にし、聖人ご自身も影信に切り付けられ、額に三寸ほどの疵をうけてしまわれました。そして奇蹟的に鬼子母神の御加護で救われた日蓮聖人は、夜道を逃れ、小湊山の近くに辿りつかれました。やがて、谷間の水で疵を洗い、経を読みながら、身を隠した岩窟の砂を疵口にぬって血を止めたということです。その翌朝、額に深い疵をおって岩窟に隠れている聖人の姿を見かけた「おいち」という老婆が、とっさに自らかぶっていた綿を聖人に差し上げたということです。

これが綿帽子の由来ですが、寒くなると痛んだであろう聖人を偲んで、秋のお会式から4月8日のお釈迦さまの誕生日まで聖人のお像に綿帽子をかぶせるようになったのです

私と小鳥と鈴と・・・

| ちょっとしたお話 |
Warning: Undefined variable $comments in /home/entrys06/myokokuji.info/public_html/news/wp-content/themes/entrys/archive.php on line 29

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

これは明治36年生まれ、大正末期にすぐれた作品を発表し、26歳という若さでこの世を去った金子みすずさんという童謡詩人の方の詩です。

みんなちがって、みんないい。

法華経の方便品第二には「諸法実相」という教えが説かれています。「この世の中で、あらゆるものすべてが真実のことを示すために存在している。世の中にあるものはすべて理由があって、みな存在している。世の中に不必要なものなどない。」という教えです。

私たちは何かとすぐないものねだりして、人を羨んだり、優越感を感じたり、メディアでは盛んに勝ち組、負け組だの揶揄したりして誰かと比べあっています。そんな私たちにお釈迦さまは、「そんな価値観を持つのはやめなさい。この世に存在しているものはすべてそのままで、そのままが素晴らしいのだよ・・・」とおっしゃっているのです。

つまりは、みんなちがってるし、そこがいいんじゃないかってことですね。

よく子どものころ「OOちゃんのお家だってOOちゃんのお家だってゲーム買ってもらったんだって~!いいな~うちもいいでしょ。買ってよ~」と言うと「よそはよそ、うちはうちでしょ。」と言って母親にたしなめられていました。子どもの頃はすごく理不尽に感じていたこのやり取り、今思えば、あながち間違いではないのかもしれません。

私たちが何かを判断する時に使用する自らの価値観・・・。それは本当に正しいものでしょうか?

この金子みすずさんの詩と方便品第二を読むと

狭い世間の価値観で良し悪しを判断して流されてはいけないよ。価値観をもっと幅広く持ちなさい。もっと大きな視野で物事を見なさい。

こんな声が聞こえてきそうです。             義専

お経とはなんぞや?

| ちょっとしたお話 |
Warning: Undefined variable $comments in /home/entrys06/myokokuji.info/public_html/news/wp-content/themes/entrys/archive.php on line 29

「お経」と言われて皆さんは何を想像されますか?

お葬式の時にお坊さんが唱えるなんかよくわからないけど難しい言葉。

悪い霊とかを払う呪文。

などなど・・・。

一般的にお経とは何なのかよく知られていないのが現実です・・・。

仏教とは仏の教えという意味なのです。その仏とはお釈迦様のこと、お釈迦様は29歳の時に出家されて6年後、35歳の時に真理に目覚められ、悟りを開かれてから80歳で入滅されるまでの45年間様々な教えを説かれました。

その教えの数は膨大で、俗に八万四千の法門(教え)と言われ、数多くの種類がありますが、正確な数字は不明です。お釈迦様の時代には、その教えを記録に残すことはご法度だったようです。暗記だけが唯一の方法でした。お釈迦様が亡くなられた後、十大弟子と約500人の弟子たちが数々の尊い教えを正しく伝えていくために、その教えを編纂しようと集まりました。しかし、それは言葉を書き留めたわけではなく、お釈迦様の教えの内容に食い違いがないかをたがいに耳で確認しあっただけでした。そしてその教えは何百年も受け継がれていき、文字に記録されお経ができあがったのです。

つまり、キリスト教に「聖書」があるように、イスラム教には「コーラン」があるように、仏教徒のための教えが説かれた「経典」、お釈迦様の教えの言葉を弟子たちが何百年もかけてまとめたものがお経なのです。なので、お釈迦さまが説かれた教えの経典は必ず「如是我聞」(私はお釈迦様からこのように聞きました)という文句から始まっています。

なら、なぜ私たちお坊さんはお経を読むのでしょうか?

お釈迦様の時代やその入滅後、弟子たちはその教えの内容を確認しながら、経典の編纂を行うために、何度も声を出して経文を繰り返して読んでいたと考えられます。声を出して読むことにより経文を覚えて、お釈迦様の教えを学びとっていったのです。また、お経を読むこと自体に功徳力があると信じられて、考えられていました。日本では中国から経典が伝えられたこともあって、その当時の主流であった中国南方の発音の呉音でお経は読まれます。ただ、例外もあって、密教の経典には漢音でよまれるものもあるそうです。

というように、お経とは、実はお釈迦さまがなんとか私達の生きるうえでの様々な苦しみを救おうと、色々な場面や状況に応じた手立てを示してくださったのがお経なのです。

お経のどの部分を大切にするかによって日本の仏教の宗派が様々に分かれてきたのですが、元を戻せばひとつであり、すべてがお釈迦様の教えなのです。

お経をただ読むだけでもそれは大変功徳のあるものですが、お経の意味を知っていくと悩んだ時、苦しい時、いろんな場面で私たちを生きる道しるべとなるのです。

                                                           義専

*参考文献「仏教早わかり百科」

西遊記

| ちょっとしたお話 |
Warning: Undefined variable $comments in /home/entrys06/myokokuji.info/public_html/news/wp-content/themes/entrys/archive.php on line 29

最近平日朝8時からテレビ東京にて「西遊記」の再放送がやっております。

僕が小学生のころでしょうか・・・再放送でよく見ていました。

リアルタイムでは1978年から1980年にわたって「西遊記」「西遊記Ⅱ」と放映されてたようです。

今は「西遊記Ⅱ」が放映されててもう物語も佳境を迎えようとしているのですが。

これが面白い!!内容も良ければ、ゴダイゴの歌もいいし、キャストも最高!

最近こんな面白いドラマはないなぁ・・・。

先週放映された内容、タイトルは「異説 鬼子母神由来記」

鬼子母神のお話をベースに西遊記にあわせた内容になってます。

ある村へやってきた三蔵法師一行

その村には子どもをさらってたべるという妖怪 鬼子母 が出没するという。

ちなみに鬼子母役は「和田あきこ さん」でした。妙にハマってました・・・。

村人たちの頼みを受けて悟空、八戒、沙悟淨は鬼子母のアジトに乗り込みますが、鬼子母はたいそう強く、

そしてアジトには鬼子母の子どもたちがたくさんおり、満足に戦うこともできない・・・。

困った三蔵法師はお釈迦様に力添えを頼みます。

お釈迦様は鬼子母の1000人いる子どもたちの中から鬼子母が最も可愛がっている一番末の子をさらって三蔵たちに預けます。

怒り狂った鬼子母は三蔵たちのもとへ乗り込んできますが、そこへお釈迦さまが現れて

「三蔵よ、その子をこの剣で刺しなさい」と剣を渡します。しかし、「できません」と断る三蔵。

今度は悟空を操り子どもを刺そうとします。「やめてください、お願いします」と泣き叫ぶ鬼子母。

結局剣は深々と刺さり、鬼子母の子どもは息絶えてしまいます。

泣き叫ぶ鬼子母。そこへお釈迦さまが

「鬼子母よ、その子を生き返らせたかったら、その剣で自分を刺しなさい。」

鬼子母は「本当に私が死ねばこの子は生き返るのですか」

と、決意を決めて自害します。抱き合いながら崩れおちる鬼子母と子ども。

「お釈迦様、ひどいよ、あんまりじゃないですか!」

と悟空が言ったその瞬間に天から綺麗な花びらが振ってきました。

そして子どもは生き返り、鬼子母もよみがえったのです。

そしてお釈迦様は

「鬼子母よ、おまえは1000人いる子どものうち、一人亡くなっただけでもそれだけ辛い思いをしなければならないのだ

人間の母親の持つ子どもの数は数人だ。一人欠けるとどれだけ辛い思いをしなければならないか・・・」

と鬼子母をいさめます。

号泣しながら鬼子母親子は抱き合います。

そして、ザクロの実を渡され

「人間が食べたくなったらこの人間の血の味に似ているザクロを食べなさい。」

「そしておまえは子どもを食べる妖怪ではなく、子どもの守り神となりなさい」

こうして鬼子母は子どもの守り神となり、さらわれていた子ども達も村に帰り一件落着。

というお話でした。お寺でも鬼子母神をお祀りしてあり、小さい頃から鬼子母神の伝承は聞いていましたが、

改めて映像でみると、とても感激でした。

鬼子母神の由来がお話になってたり日本の童話「泣いた赤おに」がベースになった内容とか

ほんと幅広い「西遊記」。もうあと何話かで最終回なのが残念。

朝の楽しみがなくなってしまいます・・・。

                              義専

ホームページ開設にあたって・・・

| ちょっとしたお話 |
Warning: Undefined variable $comments in /home/entrys06/myokokuji.info/public_html/news/wp-content/themes/entrys/archive.php on line 29

妙国寺副住職でございます。

構想一年。 やってみようかな・・・。どうしようかな・・・。

でもあんな風にやってみたいな・・・。などなど考えながら月日は流れ・・・。

天高く心地よい秋風の元、ようやく妙国寺のホームページが開設できた喜びに浸っております。

この「ちょっとしたお話」では日々の事、さまざまなお話、法話等を徒然なるままに更新していこうと思っております。

どうぞお気軽にのぞいて行ってくださいね。

副住職  義専

「ちょっしたお話」について

| ちょっとしたお話 |
Warning: Undefined variable $comments in /home/entrys06/myokokuji.info/public_html/news/wp-content/themes/entrys/archive.php on line 29

只今準備中です。今しばらくお待ち下さい。