最近二歳の長女が誰でも通る道なのでしょうが、「アンパンマン」に熱中しております、「アンパンマン」顔がアンパンという不思議なヒーローです。

アンパンマンの歌「アンパンマンのマーチ」という「そうだ、うれしいんだ生きる喜び」から始まる歌、その中に「何のために産まれて、何をして生きるのか、答えられないなんてそんなのは嫌だ」という歌詞があるのですが、十か月の弟に向かって長女が「じゅんくん、じゅんくんは何のために産まれて、何をして生きるの?」当然質問された弟はポカーンとした顔、するともう一度「何のために産まれて何をしていきるのか~」と問いただしていました(笑)。

 

さて、アンパンマンは1969年生まれで、やなせたかしさんが作者です。やなせたかしさんは御自身の戦争体験を基に戦中・後の深刻な食糧事情もあり、人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっておられました。これまでのヒーローは「正義」と口では言っていても飢えや空腹に苦しむ人間へ手をさしのべることはしなかった。そこから困った人に食べ物を運んでくるというヒーローが生まれたそうです。

アンパンマンはお腹が減っていて泣いている子を見つけると「僕の顔を食べなよ」と顔の一部を与えます。自らが傷つき、悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしません。それでありながら、たとえどんな敵が相手でも目の前の人を守るために立ち向かいます。

私達はアンパンマンのように、純粋に他人の為に何かをするというのは難しいものです、これは何故かと言いますと、仏教的に言いますと、他者のために何かをしようとすると、する方にもされる方にも「世間八法」と呼ばれる、通常世の中で大切だと考えられる価値観が私達の考えに影響を及ぼし、それを行おうとするときに邪魔をするからなのです。

「利得(自分にとって得になるか?」

「損失(自分にとって損になるか?)

「楽か?好ましいか?」

「苦または嫌」

「名誉(社会的に褒められるか?)」

「誹謗(社会的にけなされるか?)」

「称賛(個人的に褒められるか?)」

「非難(個人的にけなされるか?)」

この八つのいづれかが日常生活の中いつでもどこでも私達の心に忍び込み、何かのふるまいをしようとする刹那に顔をのぞかせる。何故のぞかせるのか?と考えますと、やはり自分が大切だからですね。

自分を大切に一番に考える「利己主義」と呼ばれる考えと反対の考え、自分より他人の幸福や利益を先にと、他人の幸福と利益が第一と考えることが「利他主義」と言います。

仏教ができたばかり、原始仏教といいますが、自分が厳しい修行をして悟ればそれでよしでした。しかし、後々にそれではお釈迦様が本当に言いたかったことではない。自分だけが悟ればそれでいいのではなく、他人の幸福を願い、すべての人を救うために悟りをひらくべきであるという利他主義の教えへと変化していきました。

法華経の中にたくさんの菩薩さまが出てこられます。菩薩さまが仏になるための修行に「自未得度先度他」自分一人の悟りのために修行するのではなく、まず他人を先に渡す、いうならば、自分のことはさておいてもまず他人のことを考えるという菩薩修行があります。

利己主義に陥ると必ず人は破滅を迎えます。ある程度の利己主義は必要ですが、どこかでブレーキをかけ、利他主義を持つ、そうすると、徐々に世間八法は消えて、自分の中にアンパンマンのような菩薩の心が生まれてくるでしょう。何しろ世間八法に捉われないのですから周囲の人の眼からも解放され、生き方も楽になるかもしれません。

アンパンマンが幅広くここまで人気なのは何かそういう菩薩の心をアンパンマンから感じ取れるからなのかもしれませんね。人にとって学ぶべき善き手本であるからでしょう。私達大人は子ども達に、やはりこのような生き方を見せて良い見本に成るようにしてあげなくてはいけませんね。