花火

| ちょっとしたお話 |

先日、近所の遊園地で行われた花火大会に行ってきました。毎年行われている花火大会ですが、毎年見る方の気分によっても違ってくるのか、その年によって色んな気持ちにさせてくれます。今年も、花火は夜空に様々な色とりどりの美しい模様を描いていました。昔から花火は夏の風物詩として人々の眼を楽しませていました。様々な説はあるものの外国より鉄砲伝来とともに日本に伝わり、江戸時代には花火を専門に扱う鍵屋と玉屋によって人々が楽しむ花火の文化が形成されたそうで、今でも花火を見て「たまや~」「かぎや~」と叫ぶのはその名残だそうです。自らを燃やして暗い空に美しく光を宿す花火、じっとみていると法華経の中にでてくるこんなお話を思い出しました。

妙法蓮華経薬王菩薩品第二十三のお話の中の主人公、「薬王菩薩」という菩薩さまが、前世で「喜見菩薩」という名前で仏さまに仕えていた時、喜見菩薩は法華経を学び苦行を耐えて、人に教えを説くために、相手に応じてふさわしい姿を自在に現すことができるという神通力を体得しました。そして、虚空の中から色々な花や香木を雨のように降らして自分を導いてくれた仏さまに感謝の心で供養しました。しかし、このような供養よりも自分の身をもって仏さまを供養する方が勝っていると考え、永い間あらゆる香油を飲み、仏さまの前で体中に香油を注いで自らの身を燃やしその光によって全世界を照らし出しました。その身体はその後、千二百年の間燃え続けてようやく燃え尽きました。その後、とある国の王様の子どもとして家に生まれ変わった喜見菩薩の前に仏さまが現れ、「私は今夜入滅するであろうから、あなたが塔を建てて供養しなさい」と告げられ、入滅されました。嘆き悲しみながら喜見菩薩は栴檀の薪で仏さまの遺骸を焼いてお骨を拾い集め八万四千もの塔を建て、その塔の前で自らの臂を燃やして灯りを点して七万二千年の間供養しました。そして、たくさんの数えきれないほどの人々に菩薩の心を発さし、悟りの境地へと導いたのです。喜見菩薩は自分自身が仏様を供養して自分が満足するためだけではなく、人々をも導くために自らが灯りとなられたのです。

 お彼岸の期間は二十三日の彼岸の中日の前後三日合わせて七日間、今私達が暮らす比岸の世界からご先祖様たちがおられる苦しみも悲しみもない彼岸の世界、その彼岸の境地でこちらの世界で生きるための六波羅蜜という六つの修行方法の中の一つ、いつも最初に言われるのが修行方法が「布施」行です。布施とは「誰かにものを施すこと」であり、自分の損得を考えずに誰かのために自らを犠牲にしてまでも誰かの為に動くことなのです。ろうそくを思い浮かべてください。ろうそくは自らを燃やして周囲を明るくします。暗い時は、その灯りが道を示してくれて人々に安心を与えます。

最近では暗いニュースが多く、暗いニュースが流れる度にどうしても私達も暗くなってしまいます。そんな時にこそ、この喜見菩薩のように、自らが灯りをともして周囲を明るくしていく生き方こそ大切でしょう。

明日9月23日 当山にて11時より秋季彼岸施餓鬼供養が行われます。卒塔婆をたて、故人に感謝の祈りを捧げて供養しましょう。