私はよく、何か物事を行ってひと段落すると小さく「OK」と言ってしまう口癖があるのですが、最近2歳になった娘が、おもちゃを片付けた後頷きながら、小さく「OK」、歯を磨いてうがいをして小さく「OK」、着替えて「OK」と、何かと一人頷きながら「OK」、「OK」と・・・。教えたはずはないのですが、いつの間にか同じように私の口癖が娘にうつっていることに気がつきました。ジョン・ロックというイギリスの哲学者は「心の中には生まれながらに刻み付けられているものはない、つまり子どもは生まれた時はまだ何の観念も持っていない白紙の状態であり、教育によってさまざまな観念を獲得するようになる」こんな風に仰っております。確かに、子どもは生まれながらに個性は持ち合わせて産まれてきますが、その環境に左右され成長するに従って大きく変わっていくものです。だから赤ちゃんは、大人や自分より大きな子どもの行動をじっと見つめてしきりに観察しています。
白紙だからこそ私達大人の日々の習慣をしっかり観察し、それを真似るのですね。日本には昔から「子は親の背中を見て育つ」という言葉があります。保育園に務めていた頃のことです、子どもたちが大人の真似をする「ごっこ遊び」をして遊んでいると、必ずその「ごっこ遊び」の中にお父さんやお母さんが登場し、自分がいつも言われているであろう「・・したらだめよ」などの台詞が出てきたり、必ずと言っていいほど携帯電話やパソコンが出てきたり、よく観察しているなぁと感心したものです。
さて、子どもに「ご先祖を大切にしなさい」「命を大切にしなさい」とはよく言って口では教えることができても子どもが理解するのはなかなか難しいものです。ですが、お盆やお彼岸お墓参りの時期にはお子さんをお連れになって参られる姿をよく見ます。最初は見るだけであった子ども達もいつの間にか大人の真似をし、自然に自分たちだけで花をかえたり、掃除したり、手を合わせたりいつの間に大人がすることを自然に学んでいます。
妙法蓮華経方便品第二の中に「小善成仏」という教えが説かれます。これはどんな人間が、どんな些細な事でも、心から仏を信仰する気持ちを行いに表すならば、その人はそれだけでもう仏道を成じ、仏となったと同じであるよ、ということです。そして、その行いについての例えがいくつか説かれております。その中に、「子どもが遊びで砂を寄せ集めて仏塔をつくる真似をしただけでも、あるいは仏像に向かって礼拝し、または合掌する、または頭を下げるだけで、あるいはただ一度南無仏と唱えただけでも、彼は成仏しているのである」というところが出てきます。
祈っている姿、感謝している姿、そのものを直に子どもに見せ、同じように体験させていくと、きちんと子どもの中にその姿が刻まれて、ご先祖や亡くなった人を大切に想う気持ちが自然と生まれてくるものなのです。そうすると、命に敬意を持つという大切さや血のつながりや家族のありがたさを知ることができるようになるでしょう。
昔は子どもを連れてお寺に参られるのが多かったですが、最近は少なくなってきました。「子どもは騒いでしまうし、迷惑に感じるから」と感じられて遠慮されてる方もいらっしゃるかもしれませんが、子どもは騒ぐのが当たり前ですし、それよりもきちんとお参りする姿を見せ、体験させることがもっと大事な事です。お盆の時期になります。どうぞ、命の大切さやご先祖とのつながりを目に見える形で後世に教えていきましょう。