» ちょっとしたお話
先日、Florist Keri 沖先生のフラワーアレンジメント教室がありました。
今回のアレンジ教室のテーマは「バレンタインデー」
チョコレートの匂いのするお花だそうです。
先生曰く、日本ではバレンタインデーは女性が男性にチョコですが、海外では男性から女性にお花を贈る日らしいです!
初めて聞きました・・・。
お花屋さんでこの活動を広めて行くそうですよ!男性の方々ぜひ、バレンタインデーには花束を!!
次回の お寺でフラワーアレンジメント教室は 2月25日(火) 13:00~ 参加費は3500円です。
お気軽にお問い合わせください。お問い合わせフォームからでもお電話でも結構です。
なお、託児が必要な方は事前にお知らせください。
そして、西村先生をお迎えして毎月行われています、スクラップブッキング教室。
スクラップブッキングとは、お気に入りの写真を飾るペーパークラフトのことだそうです。写真をアルバムに貼り付けるだけでなく、台紙にイラストやタイトルを添えて写真ごとに思い出を書き綴り、家族の思い出を大切に保管します。
毎月第二火曜日に13:00~行われております。
ご興味がおありの方お気軽にお問い合わせください。
託児では、子ども達と雪だるまつくり、鬼の豆入れを作りました!
先日テレビを見ていましたら、「落語」ならぬ「泣語」というのがあるらしいです。
ご存知ですか?
「泣語」
ブータンの民族衣装に身を包み、話す様子は落語家さんと似たような感じですが、話し手さんがお話される内容は名の如くずばり「泣ける話」。
涙を流して心も体もすっきりしましょう。能動的に泣いて心も体もデトックスを!という「涙活」(るいかつ)という活動の一種らしいです。
なんでも、創作と実話、5分以内の話で最後は自分も泣いて人も泣かせる。ということでしたが・・・。
お坊さんをやっていますと、お通夜やお葬式、法要の場、何やかんやとお話をする機会が沢山あります。
「心を打つお話を!!」と笑っていただいたり、泣いていただいたりする時もありますが、なかなかこちらの想いが伝わらず、独りよがりの話になることも正直多々あります。練りに練って自信ありで話した内容が滑りまくって大汗かいたことも多々あります・・。
お話をする、自分の想いを誰かに伝えるというには大変難しいことです。
しかも5分以内???自分も泣いて相手も泣かす??いやはや・・更に難しいですね・・・。
何故こんなにハードルを高く・・・。きっと何かしらの理由あってのことでしょうが・・。
しかし、このような活動の場があるということは、どこかで心を動かされるような話を聞きたい。テレビや本よりもリアルな感動を呼び起こす生の声が聞きたいと思ってらっしゃる方が増えていらっしゃるのでしょうか?
そんな方々にお勧め致しますのが、お坊さんがされるお話、法話です。
お寺には人の生老病死、人生の節目節目に関わっていきます。色んな方々の想いが集まってくる場所です。その人と向き合い、人生と向き合い、一緒に泣いて笑って、一緒に死と向き合い、死してなお、その方と向き合っていく。
ここまで深く人の人生と向き合っていく仕事は他にはないと思います。そのお坊さんがされる話こそ、今の時代に求められている「語り」ではないかと思います。
お通夜の場であったり、法事の場であったり、有名なお坊さんでなくて結構です。近所のお寺の法要の場であったりとお坊さんのお話を聞く機会は意外とあるものです。
「坊主の話なんて・・・」とおっしゃらず、是非少し耳を傾けてください。
終活、涙活、色々あるようですが、きっと全ての活動に通じる今をよりよく生きるためのヒントがそこに込められているはずです。ぜひぜひお寺へいきましょう!「寺活」を!!
小正月も過ぎ、子ども達も妻も里帰りから戻ってきまして明日からいつもの生活が始まります。
さて、2014年ついに妙国寺の正面入口がちょっとリフォームされて看板が立ち、わかりやすくなります!!
思い起こしますと、初めてこられた方々に・・・。
「着いているんですけど、入口がわかりません・・・。」や、
「入口がわからず、もう何度も前を通り過ぎてしまいました・・・。」
など、携帯片手に毎回坂を下って道路の前に立ち
「ここです!!ここなんですっ!!」
と衣のまま手をふっている日々でした。
「へ~。よくここらへん通りますが、こんなところにお寺があるなんて全く知りませんでした・・・」
最初は、隠れた名店みたいでいいなと思っていましたが、何度もその台詞を聞きますと、
「え?大丈夫なのか?それで・・」と心配になり、そのうち
とうとうその台詞ももう聞き慣れました・・・・・
僕が高校生の頃などは受験勉強をしていたら、外にパトカーのけたたましいサイレン・・。
バイクに乗られたお兄様方が深夜パトカーに追われながら抜け道と思われて入ってこられ、追い詰められる始末・・・。
この坂を上ったところにまさかお寺があるなんて・・・
間違って上がってこられ、すぐに引き返される方もしばしば・・・・・。
そんな悲しい思いももう終わりです!!
もう「こんなところに・・・・」なんて言わせません(笑)
今月から徐々に工事に入ります。今のスタイルはもう見納めです。
ちょっとだけ、自己主張させていただきます。
乞うご期待!!
本日は正月大祈祷会が執り行われました。
あいにくの雨でしたが、思いもよらず沢山の方々にお参りいただきました。
雨の中お出でくださいました皆様、誠に有難うございました。
水行式とご祈祷によって皆様方の本年一年間のご多幸を仏さまや鬼子母神さまにしっかりと祈念致しました。
本年は甲午(きのえうま)年です。甲には物事の始まり、草木の種が生まれ芽を出す。午は陽から陰への転換期であり、良くも悪くも区切りの年。なので甲午は革新の年、躍進の年だそうです。
何事にもしっかりと備え、信仰を保ちながら生活していきましょう。
さて、新しい年になり昨年良いことがあった方も悪いことが続いた方も全ての方が心機一転です。
よく、「なんでこんなに悪いことが続くのでしょうか?」とご相談を受けることがあります。
しかし、よく考えてみてください。人生の中で良いこともちゃんと続いているはずなのです。人間、良いことが続くと幸せですから対して気になることはありません。良いことが続く原因を深く追求する人は少ないでしょう。
一方悪いことが続くと、その原因を探そうと躍起になって「あれが悪かったんだろうか?」「何かの祟りではないだろうか?」と悩み苦しみます。大晦日のブログに少し書きましたが、日蓮大聖人のお手紙にこんな一節があります。
「良からんは不思議、悪からんは一定と思え」
良いことも悪いこともあってが当然の人生ですので、人間そこに囚われてはいけません。
トータルでみると、人生において良いことも悪いこともだいたい同じだけやってくるそうです。
「不幸が続いた、だから神様仏様なんていないんだ」
のではありません。幸せがあって不幸せがあって、だからこそそこに神仏がいらっしゃる。幸せな時は感謝して、辛い時は救いを求めて、どのような時でも、必ずご先祖さまや仏様が傍にいてくださってより良い方向へと導いてくださるのです。
そんな気持ちで本年も一日一日、しっかりと生きてまいりましょう。
クリスマスもすぎまして・・・・
ようやく寺社仏閣の番がまわってきました!
さて、いよいよ年の瀬です。一年がまた終わり、新しい年が始まります。
昔見た映画の中にこんな台詞がありました。
「何のために大晦日があると思うの? 年が替わればいいこともある。新年を迎えれば新しい自分になれるわ」
今年よいこと続きだった方も・・・
今年はあんまりよくなかった方も・・・
同じように時は流れていきます。
日蓮大聖人のお手紙の中に
「良からんは不思議、悪からんは一定と思え」
というお言葉が出てまいります。
良いことも悪いことも、あってが当然の人生。
それにとらわれることなく、惑わされることなく、
つまりは私たちがどんな心持ちで人生を生きていくのか?
これが大切なのですね。
さて、大晦日、最後のしめくくりに毎年の恒例行事、
「大晦日 竹灯篭水行式」が執り行われます。
22時より竹灯篭を点灯し、23時45分より皆様の一年の穢れを祓い、来る年の幸多きことを願いながら「水行式」を執り行います。
そして1月1日0:00より新年初参り、ご参拝された方にだご汁やお屠蘇を振る舞っております。
どうぞお気軽に初詣気分でいらしてくだい!
なお、水行に参加されたい方もまだ募集中です、どうぞお気軽にお問い合わせください!
11月「お寺でフラワーアレンジメント教室in 妙國寺」が先日行われました。
今回のアレンジは「クリスマス」ですね!
ゆっくりと12月の明かりが灯り始め・・・。という歌が聞こえてきそうな季節になりましたね。
毎年思いますが、この季節はイルミネーションやらオブジェやらプレゼント、ケーキなどなど、宗教が日常に楽しく溶け込んでいて羨ましい限りです。
一方、4月8日は「お釈迦様の誕生日」なのですが、なかなか知っておられる方は少なく・・。頑張って盛り上げていかねば!と思っております。
さて、フラワーアレンジ教室の様子です。
今回は二日間に別れて行われました。お預かりの子どもたちは別室で、クリスマス制作をしました!
次回は12月22日(日)13:00~ です。参加費は3500円、
初心者の方も大歓迎です。お気軽にお問い合わせください。
今から二年前のお話です。突然一件のお葬式の依頼が舞い込んできました。喪主は八十歳のおばあちゃん、亡くなられた方はご主人で七十九歳のおじいちゃん。親戚の方も少なく、お子さんがおられなかったこともあり、ごくごく近い方たちのみのお葬儀でした。
四十九日も終わり、お仏壇を購入されて毎月お経にご自宅に伺うようになるとポツリポツリ色んなことをお話くださいました。
「お上人さん、実はね~。私たちは、若い頃両親に反対されて駆け落ち同然に結婚したんですよ。私が水商売していましたから・・・。そんな女と結婚するなんて主人の両親は許さなかったんです、時代が時代でしたから・・・。
ほんと、幸せでした。結婚してすぐに妊娠して、私のこれまでの不幸な人生が一変しました。だけどね~。これからって時に私が2階の階段から足を踏み外してお腹の子供を流産してしまって、術後の経過が悪くてもう二度と子供ができない身体になってしまいました・・・
なんでこんな体に・・。我が身の不幸を恨みました。だけど、主人はそんな私にそれまで以上に深い愛情を捧げてくれました。苦しい時も楽しい時も二人で手を取り合って生きてきました。
お正月になると、神棚に上がったお酒をおろして、毎年『一年頑張ったね、これからも二人で頑張っていこうね、今年もよろしく』と乾杯して新年を祝うのが恒例の行事でした。年が一年、また一年過ぎていき、いつの間にか若かった私たちも中年になり、そしていつの間にか髪の毛が白くなり、シワが増えて、体のあちこち、痛いね~、なんて笑い合って・・・。死ぬときも片方が残るのは嫌だから、どっちが先に行くかで言い合いになったり・・。
ずっと、そんな素敵な日常が続いていくものだって思っていたんです。
主人が突然病気になってしまって、もう余命もいくばくもないことを宣告されました、しばらくは入院していたのですが、結局最後は自宅で一緒に過ごすことにしたんです
「しっかりしてよ。私が一人になってしまうやろ」
「そうたいね~、お前を一人にするわけにはいかんね~」
症状がだんだんひどくなっていくと、私はつい弱気になって。
「子供がいればね~」いつも口癖のようにいう私に、「おってもおらんでも一緒たい、お前がおればそれでよか」そんな話の繰り返しでした・・
「うちは代々南無妙法蓮華経だったから、俺も南無妙法蓮華経で見送ってくれ」
そう言って、最後の日、また会おうね、寂しくないから。待っていてね。お互いに「南無妙法蓮華経」と言いながら手を取り合って別れました。
今は一人ですけど、このお仏壇があるから、こうやって毎月お参りにきてもらえるからこそ、お上人と一緒にお題目をお唱えすると、主人のことをいつも傍にかんじることができます。
これからも、私がしっかりみてあげないといけないと思ってるんです。
主人が寂しくないように・・。」
お墓をお持ちではなかったので、当山の永代供養の場所に安置をしました。
「私はいずれ主人のとなりにお願いします」
区切られたスペースの中にきちんと夫婦ならんでの場所がとってあります。
日蓮大聖人が夫に先立たれた持妙尼という檀信徒へご主人の命日にこんなお手紙を出されました。
『昔から今にいたるまで、親子の別れといい、主従の別れといい、どちらの方が辛いということなく、いずれも苦痛なものなのですが、しかし、それらにもまして、たとえようもなく苦しいのは夫婦の別れです。
いつか霊山浄土で再開できることを願い、法華経の題目をお唱えになってご供養なさいますように。』
若いつもりでいる私たちも一日一日確実に年をとっていきます。
そして必ず今生での別れを告げるときがきます。
年をとって振り返った時に、こんな素敵な夫婦になれればいいなぁ・・・・そう思います。