» ちょっとしたお話
いよいよ明日2月8日11時15分~「星祭祈祷会~除災招福豆まきです!!」
さて、節分豆まきといえば「鬼」ですね~!!
こんなお話があります。
とある旅人が今夜の寝床を探しておりました。 ようやく見着けた薄暗い一軒の空き家。
さて、もう寝ようかとしていた時、一匹の鬼が人間の死体を担いでやってきました。
鬼は旅人がいるとは気がつかずに持ってきた死体を食べようとしました。
そこへもう一匹の鬼が入ってきました、 「その死体は俺のだ!!こちらによこせ!!」
と言いはじめます。 当然2匹の鬼は喧嘩になりますが、なかなか決着がつきません・・・。
そのうち、2匹は旅人がいることに気がつき、旅人に判断してもらうことになりました。
旅人が、この死体は最初に家に入ってきた鬼のものだ!!と言いますと、後から来た鬼は怒って旅人の右手をもぎ取ってしまいました。
すると、先に入ってきた鬼は死体から右手をもぎ取ってくっつけてくれました。
次は左手、足、体、頭、そうやっているうちにすっかり旅人の体は死体と入れ替わってしまいました。
その後二匹の鬼は散らばっている体(旅人の体)を仲良く半分ずつ食べてどこかへ行ってしまいました。
旅人が一人取り残されました。自分の体はもう元の体ではありません。
今生きているこの自分は誰だ?自分は自分なのだろうか・・・
幸いにも旅人はお釈迦様と遭遇し、お釈迦さまに質問します。
「お釈迦様、お教え下さい。私はわたしでしょうか?それとも私ではないのでしょうか?」
お釈迦様は 「もちろん、おまえはおまえだよ」
旅人はお釈迦さまに教わって安心し、元の自分を取り戻すために、お釈迦さまの弟子になって修行したそうです。
医学の進歩によって体の様々な器官が作りだされて、悪くなった部分はどんどん交換可能になった場合、この物語のようにどこまでが自分であってどこまでが自分でないのか・・・。 考えさせられる時代がくるかもしれませんね。
人間の細胞は定期的に日々分裂、再生し細胞をつくりかえているそうで、一生同じ細胞というわけではなく5~7年で全てが入れ替わるそうです。 そう考えていきますと・・・。変わらずにここに在る自分とは一体なんだろう・・。 考えてしまいますよね。
常日頃私たちが「こうでなくちゃいけない」とか「こうならなきゃな~」、見栄とか虚栄心とかで自分を見失っている状態がまさにこの旅人の状態だと思います。旅人もまた自分を見失う事によって自分自身が何なのか気がつくことができました。
そんな時 「もちろん、おまえはおまえだよ」 お話の中で出てくるお釈迦様の言葉が重く響きます。
「自分」を再発見するというのは自分を見つめなおすということですね。それには仏道修行が一番適しています。
どうぞ、明日の「星祭~除災招福豆まき~」11:15~
ご参加され仏道修行をされるとともに豆まきにて体の内側と外側の鬼を祓ってくださいね~!
お菓子も沢山です。星祭については・・・こちらをご参照ください。
どうぞお気軽にご参加ください!!
本日は妙国寺新年初の行事
「正月大祈祷会」でした。
寒い中ご参拝いただいた皆様ありがとうございました。
日蓮宗祈祷師四名による「水行式」
寒風吹き荒れる中・・・実際大晦日より水が冷たかったです・・・
そして日蓮宗祈祷師八名による祈祷。
本年も皆様がより良き一年となりますように祈願いたしました
いつも聞かれることなのですが、お寺にご参拝されるにあたってはうちのお寺の檀家さんじゃないといけないという決まりはありません。
御祈祷(お祓い)を受けられるのも、どの宗派の方々でも自由に受けることができます。
決して、「お寺の檀家になってくれ~」などと強引な勧誘などしません(笑)
お坊さんの話とか聞いてみたいな・・・とか
ちょっと祈祷をうけてみたいな・・・・・とか
興味半分で結構です。是非お気軽にいらしてくださいね
皆様によって素敵な一年になりますよう妙国寺は日々お祈りしております。
いよいよ2016年が始まりました
本年も皆様どうぞよろしくお願い致します!
さて、昨年最後のお寺の行事、「竹灯篭・水行式」が行われました!
今回も総代の井上利光さんと、藤本力さんのお力添えにより数百本の竹灯篭が完成しました
回数を重ねるたびに確実に竹灯篭の細工のレベルが上がってきています!
金魚やうさぎ、蝶などなど・・・・
申年ということでお猿さんや・・・
竹灯篭に竹を作りだす凄さ!!
子ども達に作っていただいた竹灯篭もとっても綺麗でした!
そして水行式!!私以外は皆さん一般の参加者です!!
ご参拝してくださった皆様の一年の厄をおとし、来る年の幸を願います!
今回は入口にもオブジェを建てました!
1月8日くらいまで夕方から電気をつけています。
よかったら見に来て下さいね!!
寒い中、妙国寺へと足を運んでいただき本当にありがとうございました
皆様にとってこの一年が良き一年になりますよう心よりお祈り申し上げます!
また年末、水行をしてみたい方!年越しを一緒に祝いたい方!!是非ご参拝されてください!
年の瀬も押し迫ってまいりました!!
いよいよ2015年も終わりですね・・・。
皆様にとって今年はどんな一年でしたか?
楽しかったこと、辛かったこと、いいことも悪いこともゆっくりとゆっくりと時が過ぎ・・・・・
すべてが思い出へとかわっていきますね・・・・。
お年寄りの方々がよく「正月が来たらまた、ひとつ年ばとらなんですね~」
と仰っています。御存知ですか?
昔は今のようにそれぞれ誕生日に一つ年をとるのではなく、元旦がきて皆で一緒に年をとっていたのです。
だからこそ、日本人にとって1月1日というのはすべてが新しく始まるとても特別な日でもあったのですね。
大晦日はいよいよ「竹灯篭・水行式」です!!
先日毎月お経に伺うお檀家さんの所でのお話なのですが、
お経をあげているとふと仏壇の横に水行に使用する桶らしきものがおいてあり・・・
無性に気になって
「水行の桶ですよね?」
と尋ねますと
「そうなんです、亡くなった父が使用していたものです。父は若い時から、曲がったことの大嫌いな一本筋の通った人間でした。周囲の人たちからも慕われていて、頼りにされて、人情深くて・・・。そして物凄く信仰深い人間でもあったんです。手のひらと肘にろうそくをたててお参りする修行をしたり、毎朝井戸の水を前日からためてその桶で水行していたんですよ。最後まで使っていた水行桶です。父のものは色々と処分してしまったのですが、その桶だけは捨てれなくて・・・・。仏壇の傍にずっと置いておいたんです。懐かしいですね~よく気がついてくださいましたね~」
と仰いました。

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昭和31年、11月8日から使われたものです。
水行をするときは一心に何かを想い、願いをかけながら水をかぶります・・・。
この水行桶に込められたお父様の想いが伝わってきまして
「この水行桶を大晦日に使用させてい
ただいてよろしいですか?」
と尋ねますと
「是非、お願いします。そういえば来年は父の50回忌なんです。きっと、お上人にその水行桶を通じて呼びかけなさったんですね~」
ものには色んな人の想いがこもるといいますが、この水行桶を見ますと色んな想いが伝わってきます。
大晦日、この水行桶使用させていただきます。
精一杯務めさせていただきます。
そんな想いのこもった 「竹灯篭・水行式」です。
12月31日 23:45~ 水行が始まります!!
どうぞ見に来てくださいね~!!
境内が温かい竹灯篭に包まれます!今年も力作ぞろいです
一見の価値ありです!!
その後、新年初参り、だごじるやお屠蘇などふるまいます!
お子様にはおみやげくじもありますよ!!
あ、水行に参加したい方!!興味がある方!まだ募集しています!
我こそは!!という方!お気軽にどうぞ!!
昨日寺活の一年に最期の締めくくり、「お楽しみ会」がありました!
年末の忙しい中、たくさんの親子さん達にご参加いただきましてありがとうございました!!
まずは、竹灯篭つくり!!トレーシングペーパーに思い思いの飾り付けをしてラミネートします!
完成です!素敵な竹灯篭になりました!!
薄暗くなるとこんな感じです!31日の大晦日が楽しみです!!
お楽しみ会は副住職夫妻による人形劇!!
頑張って練習しました(笑)
みんなウケてくれました!よかった~
レクリエーションやゲーム!!
最後にみんなでお茶会です!
とにかく大盛り上がりの一日でした
今年も一年妙国寺をご利用くださいましてありがとうございました。
皆様がいらしてくれるからこそ、このお寺は在り続けることができます
皆様の笑顔で僕ら夫婦も「やってよかったなぁ~」と想うことができます。
どうぞ来年も妙国寺をよろしくお願い致します。

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熊日新聞平成9年6月25日の新聞の記事です。アメリカに寄宿農場学校グリーンチムニーズという場所があり、そこでは心が傷ついた子どもたちが動物と寄り添う事で心を癒していく、傷ついた動物を助け、動物のお世話を通しながら、子ども達は少しだけど「自分も世界を助けられる」という気持ちを持つようになる。動物は子供を守る、人間のように虐待したりしないんだ・・・・
高校生の頃読んだこの記事が心に深く残り、ずっと机の中にしまっていました。
先日、お檀家さんのところで聞いたお話です。
ハナという大きな犬がいました。
性格が乱暴で、体も大きかったので飼い主を転々としてとある夫婦の元へとやってきて、そこで面倒をみてもらっていたのですが、散歩中に寄ってきた子犬を噛んで怪我させてしまいました。
御夫婦も随分悩まれて散歩も大変だし、やはりこれ以上は面倒見切れないと周囲の目もあり保健所にいくことになりました。
しかし、奥さんのお姉さんが「私が面倒をみるから、絶対保健所には連れて行かないで」
と家でハナを引き取ることになり、その日から、お姉さんは御主人に先立たれ一人暮らしでしたので、毎日毎日ハナと色んなお話をしたり、徐々に絆は深まっていきました。
しかし、また散歩中に寄ってきた子犬を怪我させてしまい、裁判沙汰になってしまったそうです。
お姉さんは相手に何度も何度も謝り続けて慰謝料をお渡して、また保健所にというお話もでましたが、「きちんと私がみますから・・・」とようやく許してもらいました。
何故お姉さんがそこまでハナことをかばうのか?
それはハナが子犬の頃人間の飼い主に虐待されて大きくなったという過去があったからでした。
転々と飼い主が変わっていく中で人間のことを信頼できなくなってしまったのです。
「この子がこんな性格になってしまったのは人間のせいだから、きちんと人間が最後まで面倒をみてあげなきゃならない・・・」そんな想いでいっぱいだったそうです。
ハナとお姉さんの生活が一日一日と過ぎて行きました、あれほど乱暴だった性格もすっかり落ち着いてきました。
そんなある日お姉さんが体の具合が悪くなり自宅から救急車で病院に運ばれました。救急車に乗る時に不安そうに見つめてくるハナに
「ハナ、ちゃんとお利口にまっていてね」
と声をかけて救急車に乗り、そのまま入院となりました。
その数日後そのままお亡くなりになったそうです。
不憫に思った妹さん夫妻はハナを引き取ってあげようとお姉さんの自宅に行きましたが、ハナはその場を動きません。仕方ないのでご飯はハナの元へと運びます。
「ハナ、お姉ちゃんはいなくなってしまったのよ、うちにおいで」
と声をいつもかけるのですが、頑として動かないのです。
「きっと、姉の言葉を胸に誰もいなくなった家を守っているんですね・・・」
涙を流しながら妹さんはそうおっしゃったそうです。
今でもその家でハナは待ち続けているそうです・・・・。
動物を飼った人はわかると思いますが、動物は人間みたいに言葉は発することができない代わりに全身を使って想いを伝えてくれます。そしていつも傍にいてくれて黙って人間が発する言葉を聞いてそっと傍にいてくれます。信頼関係が出来た時、芯から人間の事を信頼してくれます。裏切ることもありません。
ハナの事を心より大切にしたお姉さんの気持ちと一心に飼い主の事を想うハナのその姿・・・私達に大切な何かを教えてくれているようでなりません。
先日秋の親子寺小屋が開催されました
今回は「食」について体験し、勉強してみよう!とのことで・・・
味噌作りに 山鹿市の木屋本店 井口裕二 さん
パン作りに 荒尾の nife 井上未央 さん
お二人ともお若いですが「食」についてのスペシャリスト!!
これから飲食系の業界をしょっていかれるお二人です!!
お二人をお招きしました~!
参加頂きましたのが14組の親子さん方
まず、「いのちをいただく」の紙芝居を読み、命をいただくことに感謝しようとお参りをしました!
さて、味噌作り
麹についてのお話、味噌がどうやってできるかについてのお話をお聞きして
ビニールに小分けしてとにかく大豆をつぶします。うちの子はやりすぎです・・・・(笑)
麹と塩を混ぜます!
お団子状にして詰めていきます。
このままねかせます。美味しい味噌ができますように!こうじさん頑張ってください!!
さて、パン作り教室は塩麹ぱんの味噌ロールです。
生地をつくり、発酵させて味噌ペーストを塗りクルミを入れてさらに発酵させて焼きます!
美味しいパンが完成しました!!
自分で作った焼きたてのパン!とっても美味しかった!!
長丁場でしたので途中本堂でお茶タイムもまじえながら・・・・
一日楽しく過ごさせていただきました!!
参加していただいた皆様!木屋本店の井口さん、nifeの井上さん本当にありがとうございました!
「ありがとう」
私達が何気に口にする感謝を表す言葉です。
何故 ありがとう なのでしょうか?
ありがとうの語源は「有難し(ありがたし)」
有ることが難しい、つまりは今あることはめったにないことなんだ。
という意味のようです。
原典は法句経の一節の中に出てきます。
ひとの生を うくるはかたく
やがて死すべきものの
いま生命あるはありがたし
人として生まれてきたことも、今命あるものがこの瞬間を生きていることもありがたいこと、めったにないことなのだよ。
というような教えです。
「ありがとう」
こんなに人の想いがこもる言葉は他にないのではないでしょうか?
今生での最後のお別れの場であるお葬式にも必ず「ありがとう」という言葉が自然と生まれてきます。
先日も亡くなったおばあちゃんへお孫さん達3人がお一人ずつお手紙を読まれ、小さいころの思い出、たくさん遊んでもらったこと、自分の味方になってくれたこと、たくさん心配してくれたこと、可愛がってくれたこと・・・。
「ありがとう」「ありがとう」と何度も涙を流しながら仰っておられました。
私達が亡くなった方へ「ありがとう」と言葉をかけるのと同じようにきっと私達が生を終える瞬間、自然にわき出てくる言葉も「ありがとう」なのではないかと思います。
一昨年私がお世話になっておりました茶道の先生が急にお病気でお亡くなりになられました。一本筋の通った芯の強い、しかしながら生徒想いの人間味の溢れた素晴らしい先生でした。最後まで教室を続けられお弟子さんお一人お一人に、カルチャースクールに通っていた末端の私まで病床で「ありがとう」というお手紙を残してくださいました。
今自分がいる状況がどのようなものであってもこの瞬間を迎えることができているのは、いろんな有難いことがあったからなのです。
だから「ありがとう」なのですね。
弘安五年十月十三日の午前八時、日蓮大聖人は東京池上の地で御入滅されました。
しかし、その教えは時代が変化していっても変わらず私達を導いてくださっています。
そのご恩に報いる法要、「日蓮大聖人報恩御会式法要」を
11月8日(日) 11時より
当山にて執り行います。お参りいただいた方に仏壇に飾る桜の模造花、お祖師様の綿帽子、紅白饅頭をお配りします。
当日は月例鬼子母神祭も執り行います、日蓮宗の木剣加持祈祷があります、祈願をされたい方、時期的に言えば「七・五・三」がまだお済みでない方是非お参りください!
ささやかなプレゼントつきです。祈願のお申し込みをされたい方は事前にお寺までお電話かメールをください。
ついでに今回私が久々に法話します!
ご都合よろしければどうぞいらっしゃいませ。
本日平成27年9月27日は「中秋の名月 十五夜」でした!
今年はカメラを購入しましたので撮影しました!!
いや~綺麗ですね~。
それにしても最近のカメラの性能は素晴らしいです!!
なんか、神秘的ですね~!
「中秋の名月」と言いますと綺麗な満月を思い浮かべますが、実はいつも満月であるとは限らないそうです。次に中秋の名月で満月になるのは2021年9月21日、東京五輪の次の年のようです。
月は私たちの日常にとっても身近な存在ですね、旧暦である太陰暦は月の満ち欠けが暦のベースになっていましたし、何しろ太古の昔から変わることなく私たちの傍にいて暗闇を明るく優しく照らしてくれる姿・・・・。
だれしもがお月さまを見上げるとなんとなく静かな、穏やかな気持ちになれます。
「お月見」という行事も昔から行われていました。お団子をお供えしますよね?
お月見でお団子をお供えするのは、月が神格化されて信仰の対象になったからだそうです。
日蓮宗でもお月さまは「月天子」としてお祀りされています。
月天子は法華経の教えを護り、ひろめていく人々を守護してくれる存在とされています。日蓮宗の本尊、仏壇の中央やお寺の本堂の中央正面にございます「大曼荼羅」の中にも「月天子」が記され勧請されています。
こんなお話もあります
刑場 龍ノ口にて斬首されそうになった日蓮大聖人、その時に
「江の島の方より、月のごとくひかりたるもの、まりのようにて辰巳の方より戌亥の方へひかりわたる」
このために太刀持ちは目がくらみ、兵はおじ恐れて、ついには頸切られるところを免れたのである。
と記されております。
また、この翌日に月に向かって自我偈をお読みになり、いかに法華経が他の経より優れているかお説きになられて法華経を信仰する者の守護を願われたのです。
と、実はなかなか日蓮宗の私たちにとっても縁が深いのがお月さまです。
月を見上げた時、「南無妙法蓮華経」とお唱えしましょう。
月天子さまが皆様をお護りくださることでしょう・・・。