「暑さ寒さも彼岸まで」
とは言いますけれど、ようやく寒い冬も終わり、春が訪れたのかな?と思えばまた逆戻り、皆さま体調はいかがでしょうか?
本年は3月21日を彼岸の中日として18日から24日までの一週間、春のお彼岸がやってまいります。
彼岸と申しますと、「お墓参り」に行かれる方もたくさんいらっしゃるかと思います。
「彼岸」とは読んで字の如く「彼の岸」、あちらの岸という意味です。
それはどこかと言いますと、お釈迦様やご先祖様、亡くなった方々がおられる世界、対にして私達がいる世界をこちらの岸、「此岸」と呼びます。
彼岸の期間は向こうの世界「彼岸」とこちらの世界「此岸」が一番近くなる期間、この期間に先祖をしのび、自分が今あることを先祖に感謝して、供養の法要やお墓参りをしましょうという意味があります。
彼岸の中日である春分の日は昼と夜とがちょうど同じになります。ちょうど太陽が真東から出て真西に沈んでいきます。いわば真ん中、中間の状態です。
このように「どっちにも偏らないで中間の状態である」という自然現象とお釈迦様の説かれた「中道」の思想が結びついてお彼岸は仏教行事となったようです。
さて、お釈迦さまが説かれました「中道」という教えはいったいどのようなものなのでしょうか?
私達は時折偏ったものの見方をしてしまいがちです。
正しいとか、悪いとか、好きだとか嫌いとか。気をつけていても、人の噂や誤解、ネットの情報、テレビや雑誌、ちょっとしたことで自分の立ち位置が、あちらへ傾いたりこちらへ傾いたり・・・。
私達の物事を判断する基準というのは自分の今までの経験に基づく限られた情報でしかありません。その判断は時代によっても、自分が今置かれている状況によっても変わってくるでしょうし、自分のものの見方というのは大変移ろいやすいものです。
だからこそ、移ろいやすくどちらかに傾いてしまうような「ものの見方」やこだわりは捨てて、もっとおおらかな視線で物事をとらえなさい。もっとゆったりとした目線で物事をとらえなさい。というのが中道の教えです。
先日、様々な処で問題提起された「明日、ママがいない」というドラマのなかで児童養護施設の施設長が子どもたちに「皆枕を持ってきなさい」とその胸に枕を抱かせて、こんなセリフが出てきました。
「一度、心に受け止めるクッションを、その胸に持ちなさい」
賛否両論湧き起こったドラマでしたが、このメッセージは非常に重要なものだと思います。
私達の価値観はそれぞれ違います。極端な例を除くと何が正しいか、何が間違っているかそれを判断するのは難しい、人は誰しもが間違ってしまう存在です。
そして私達に起る幸や不幸も様々です。幸せなことばかりではない、辛いことも自分の思い通りにならないことも必ず人生に起ります。いいことばかり続くと油断してしまうし、辛いことばかりが続くと沈んでしまいます。
そんな時私達は一度、心に受け止めるクッションが必要なのではないでしょうか?
一度心にあるクッションで物事を受け止める。すると、必ず傾きはしないはずです。
これがすなわち中道の教えにつながっていくのではないかと思います。
実はこの中道、人間の体に備わっているものです。いつもお参りされるように合掌してみてください。どうでしょう?
その合掌は身体の丁度真ん中にきませんか?
人間の右手というのは清浄の手、左手というのは不浄の手を表します。人間は清濁兼ね備えた存在ですから、それを手を合わすことによって自覚しなさい、人は正しくもあるし間違うこともある、だから「中道」の生き方をを心がけなさい。と仏様は合掌に示されているのではないでしょうか。
彼岸は先祖供養の期間でもありますが、自分自身を見つめなおす大事な仏道修行の時期でもあるわけです。彼岸の中日、心沈めて合掌して、「自分はどちらかに傾いてないだろうか?」問いかけながら「中道」の思想で心穏やかにすごしたいものです。
当山では3月21日 11時より 春季彼岸施餓鬼法要 がございます。
皆さまと一緒に合掌し、心を静め、仏道修行に精進したいと思います。どうぞお気軽にお参りください。