» 2020 » 5月

妙国寺の守護神

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皆様、こんにちわ😀
5月も今日で終わり明日から6月🐌
いよいよ梅雨の季節ですね

日蓮宗のお寺というと鬼子母神をはじめ、お寺によって大黒天、八大龍王、妙見菩薩を守護神としてお祀りしていますが、妙国寺には初代住職の頃から伝わる「守護神」がいらっしゃるのです😁

こんなお話が伝わっています🤔

大正の頃のお話しです。

初代住職が夕方いつもの様にお勤めをされ、部屋に戻ってふと庭を見られた時、泉水の向こうに甲冑を身につけた武将がこちらを見て立っておられました。  

「何か御用ですか?」

住職がお尋ねになると武将は、

「この辺りは合戦のあった地で我ら多くの武将が討ち死にをしており、そのまま放置されたままで成仏できなく迷っており是非共「お経」を頼みに参った者、願い叶わば必ずこの地を守護すべし。」

と申されたそうです。

住職は「こちらへどうぞ」
と本堂の方へ導かれ、懇ろに「お経」をお上げになり、弔われたそうです。

そして、武将に「辰光院殿龍雲日城大居士」と授けられました。

今日も妙国寺の一角に妙国寺の守護神として祀られています😀

「自我偈(じがげ)」とは・・・

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このお経は「妙法蓮華経如来寿量品第十六」中の510文字の箇所

「自我偈(じがげ)」と言われます。
法華経の教えの中で最も大切な箇所です😀

少し解説しますと・・・


お釈迦様は一般に今から三千年前インドで生まれ、多くの迷い苦しむ人を教え導き、八十歳で亡くなられたと言われていますが・・・

お釈迦さまは自ら永遠の命を持たれ、いつでもどんな時でも目には見えなくても常に私達の傍で私達を教え導かれていらっしゃることを説かれました。
そしてお釈迦様が常にすべての人にとって温かい父親のような存在であり、私達を仏と同じ最高の悟りに導きたい、速やかに仏の身へと導きたい。そのことばかり願っている。

そんな事を仰っておられるお経です😀

「妙法蓮華経如来寿量品第十六」

 自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇

常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫

為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法

我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見

衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心

衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命

時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅

以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者

我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度

我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰

因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫

常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時

我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳

宝樹多花果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆伎楽

雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽

憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁

過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者

則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量

久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量

寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑

当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故

実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者

為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生僑恣心

放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道

随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生

得入無上道 速成就仏身

 

日本語訳(お釈迦様のお言葉)

 

私が悟りを開いて仏となってから今日に至るまで経過した時間は数え切れません。

その間ずっと、真実の法を説き続け、数えようもない程大勢のものを教え、仏の道に入らしめようと導きました。

 

生きとし生けるもの全てを救うために、方便として涅槃(死ぬ)に入ったように見せかけてきました。

しかし、私は本当は死んでいないのです。

 

たとえ姿は見えなくても常にここにいて、真実の法を説き続けているのです。

 

私は常にこの場所にいるのですが、神通力によってわざと、迷いのために顛倒(何事も自分中心に考え、物事の本質を見ようとしない)している人々に対してその姿が見えないようにしているのです。

 

というのは、人々は私が死んでしまった姿を見ることによって、恋い慕う気持ちをおこし、誰もが私の遺骨を供養して、ぜひとも生前の私に会いたいとう心を生ずるからなのです。

 

それによって人々は、いずれ心から私の教えを信じ、素直で心優しくなって、ひたすら私の姿を見たい、私の教えに耳を傾けたいと思って、自分の生命も惜しくないほどになるでしょう。

 

その時にこそ、私は多くの弟子たちとともに、霊鷲山に姿を現すのです。

 

そして、私は常にここにいて、決して死にはしないと教え諭すのです。

方便によって、何度でも、死んでは再び蘇るように見せかけるのです。

 

だから、心の底から私を敬って、信じて、教えを願う人がいるのであれば、私はそこに姿を現して、私が得た最高の教えである法華経を説きましょう。

 

しかし、あなた達はこのような事情を知らないで、かたくなに「もうお釈迦様は死んでしまわれた」と思い込んでしまっています。

 

私はあなたたちが迷いによって苦しみの海に沈んでいることを知っています。

しかし、すぐには姿を現しません。

 

なぜならば、このことが私のことを仰ぎ慕う心を育むのです。

 

苦しみぬいた結果、必ずや私を恋い慕い、渇仰する時がくるでしょう。

その時にこそ、初めて私はあなたたちの前に姿を現してこの最高の教えを説くのです。

 

私があなた達を慈しみ、駆使する神通力とは、こういうものなのです。

 

私のあなた達を慈しんで発揮する不可思議な力とはこういうものなのです。

 

私は計り知れない時間、霊鷲山のみならず、いかなる所であろうとも、いつでもどこでも、休むことなく常に教えを説いているのです。

生きとし生けるものが、この世界が滅びる時がきて、大火で焼き尽くされていると見たり思ったりしている時でも、私のこの娑婆国土は常に安らかで天上界の神々や人々で満ち溢れています。

 

そこには、天人が舞い踊り、緑したたる樹木があり、色々な宝石で飾られた豪華絢爛な建物が沢山あるのです。

宝石でできた樹木や、花や実をつけた樹木が沢山あって、生きとし生けるものはみな楽しく暮らしているのです。

 

空の上では、常に神々が太鼓を打ち鳴らし、様々な楽器を奏で、たとえようもなく美しい花が雨のように、仏やその弟子たちの頭上に降り注いでいるのです。

 

私の浄土は常に美しく、決して破壊されることはないのに、同じであるこの場所を、迷える人々は劫火によって焼き尽くされ、様々な憂いや恐れ、苦悩がみちあふれている所のように見て苦しめられています。

 

なぜそのように見えるのかというと、罪深い人々は過去世から積み重ねてきた悪業の因縁によって、阿僧祇劫という途方もない長い時間を生まれ変わり死に変わりしてきた間に、仏・法・僧という、私の名前も、私の教えも、そして、私につき従う者たちの存在すら耳にしようとしなかったからなのです。

 

色々な種類の良き行いをなし、優しく正直で素直な者たちは、私が今ここにいて、真実の法を説く姿に出会うのです。

ある時は、こういう者たちのために、仏の寿命が無限だと説くのです。

長い時間をへて、やっと仏にであうことができた者たちには、仏とは出会いがたい存在だと説くのです。

 

私の智慧の力とはこういうものであり、その光はどこまでも届いて限界はなく、さらに寿命も無限であって到底あなた達には計り知れないものなのです。この力が私に備わったのは過去の生において菩薩としての行いを積み重ねた結果なのです。

 

あなたたちは決してこのことに疑いを懐いてはなりません。

今後、二度と永久に疑いの心を捨てなさい。

仏(私)の語る言葉はすべて真実であり、決してうそ偽りはないものなのです。

 

このことは、すぐれた医者が心の顛倒(何事も自分中心に考え、物事の本質を見ようとしない)した我が子達を救う為に講じた手立てと同じです。それは、本当は生きているのに「父は死んだ」と伝言させて子供たちを悲しみのどん底に突き落とし、その衝撃でついに子供たちを本心に立ち返らせたという方法です。

医者がとったその治療の方法を誰も嘘偽りであるとは責めることはないでしょう。

 

私もまた、それと同様に一切衆生の父のような存在で、人々をあらゆる苦しみや患いから救う者なのです。

 

本当は、私はこの世に存在し、教えを説き続けているのですが、煩悩と迷いが消えず欲望も多く、 怒りや妬みなど負の心情に満ちて心が顛倒している人を察知して、本当はここに存在しているのに、死んでしまったと言うのです。

 

私が常にこの世にいて、あなたたちがいつでも私に会えることができたならば、私に甘えていつでも救いの手を差し伸べてくれると思うでしょう。それによってわがまま勝手に、やりたい放題の事をし、財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲といったあらゆる欲望に執着し、とめどなくおぼれ、ついには悪道に堕ちてしまうことを憂えたからなのです。

 

私は常に人々がそれぞれ、正しい道を修行しようと志を持つ者と、そうでない者がいることを十分に知り抜いています。

 

その為にそれぞれの個性に応じて救うべき手立てを講じてさまざまに教えを説いているのです。そして常に、どのようにして人々を仏の最高の悟りに導き、速やかに私と等しい仏の身にさせることができるのだろうかと、そのことばかり願っています。

 

だから政治と宗教がある。

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「ミスト」🌫

という映画がありまして。スティーヴン・キングの「霧」という小説が原作。

今コロナ禍の状況だからこそ見た方が良いとの記事を見かけて・・・。

見てみました😀

あらすじは・・・

 

とある田舎の町でガラス窓を破るほどの嵐の翌日、母親を残してスーパーへ買い出しに出掛けた父子。

しかし、町の様子が少しおかしい・・・。軍人やパトカーが慌ただしく街を往来している🚔。

店内で買い物をしていると突然町中に響き渡るサイレンの音。

突然、男性が血を流しながら店内に飛び込んできます。

「霧の中に何かがいる・・・何かが彼をさらったんだ!ドアを閉めろ!!」

やがて、濃い霧が買い物客でいっぱいのスーパーに迫り、ついには町全体をのみこんだ!!

店内から逃げ出す人、車で逃げようとする人、全てを深い霧が覆い尽くします。

響く人の悲鳴・・・・😱。そして起こる大きな地震。

人々は店内に缶詰状態になります。

「外は死、この世の終わり」と狂信めいた発言で人々の不安を煽っていく女性。

怪物の存在を信じない人。ただただ、恐れる人。

 

その夜、霧の中の怪物が店内に襲撃し店内は大混乱・・・・。

店内の人々は次第に理性を失いはじめた・・・

 

という感じでお話が進んでいくのですが・・・😨

 

ここからは、ちょっとネタバレしますので・・・

それでも良い人はお付き合いください😀。

 

狂信めいた発言で人々の不安を煽っていく女性。

この女性がスーパー内での重要人物になります。

 

普段から変わった言動で皆から疎まれています。

ここでも最初はそうでした。

「自分は神と話せる」

「神の怒りにふれた!」

「聖書に書いてある!」

そう言ってもなかなか皆は耳を傾けません。

それどころか馬鹿にしています。

 

しかし、怪物たちの存在が明らかになり、その襲撃で犠牲者が出始め・・・

店内が大混乱に陥りだすと徐々にその女性の声に皆耳を傾け始めます。

やがては皆陶酔するようになります😅

 

そして、一宗教の教祖みたいな存在になるのです。

 

彼女は最終的に・・・

「助かるには生贄が必要だ!贖罪の血が必要だ」

と言い始め、皆を扇動して一人の若い軍人に襲い掛かります。

 

主人公が属する冷静さを失わなかった少人数のグループはその人達を見て、こんな会話をします。

 

「一度闇の中におかれ、恐怖を抱くと人は無法状態になる、粗暴で、原始的に・・・」

 

「恐怖にさらされると人はどんなことでもする、解決策を示す人物に見境もなくしたがってしまう。」

 

やがては主人公の子供が生贄にされそうになり、争いの末グループは店内から脱出します。

 

とここまでが映画のお話しです😀

 

コロナ禍でおこった様々な事を思い浮かべました。

 

一方的にテレビから色んな情報が流され、沢山の専門家や司会者やコメンテーターの発言。

SNSで拡散される色んな情報・・・。

「この情報は正しい」ということが確定されていなくても・・・

やはり、最もらしい情報に流されていていってしまいますよね・・😅

「こうだから、こうなんだよ!!」

とわかりやすい解説や解決策に飛びつきたくなるものです😅

 

どっちかというと、沢山ある知り得た情報の中で、

「自分が信じたい」とか「きっと、そうに違いない!!」

という情報を自ら選別して確かめもしないで流されていってしまう・・・

という感じでしょうか・・・。

 

そして恐怖心から起こる買い占めとそれに乗じた転売行為😓

だんだんイライラがつのり、攻撃的になり・・・

個人が個人を監視して、自分の考えにそぐわない人間をさらしあげて、攻撃し始める。

 

映画中の先ほどの会話の最後に

 

「人間は根本的に異常な生き物だよ。部屋に二人以上いれば最終的に殺し合う。だから政治と宗教がある。」

 

というくだりが出てきました。

 

昔読んだ本の中に出てきた。

 

内村鑑三さん(1861-1930)というキリスト教思想家の方の言葉。

を思い出しました。抜粋してまとめますと。

 

「金は兵力を支配し政治を支配し文明を支配する。

今や金なくしては国家は一日も成り立たない。

しかし、金よりも大切なものがある。それは知識だ。

知識は勢力であり、富を作り、幸福を増す、天然を征服しこれを利用する。

知識は最大の富源である。しかし、知識は誇りやすく、誤りやすい。

知識は脳を開くが心をひらくに足りない。

多くの利己主義の人を作ってしまう。だから知識の上に道徳が必要である。

富者の傲慢を破るために必要である。道徳は知識に勝って深く堅固なる力である。

しかし、道徳もまた人の力であれば、人と共に有限である。

道徳は硬き規則となりやすく、偽善と変じ易い。

道徳をして固き律法とならざしめんがために、道徳以上のものが要る、

それはすなわち信仰である」

 

改めて宗教はこの非常時の時、心がすさんだ時、何ができるのだろう・・🤔。

 

そんな想いを巡らせた映画でした。

最後15分。怒涛のラストがあるのです。

お時間ある方はぜひ見てください😄。

今月のお寺の掲示板より

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今月のお寺の掲示板です😀

「一つだけ教えておこう。 きみはこれから何度もつまづく。

 でもそのたびに立ち直る強さももっているんだよ」

 

この言葉はドラエもんのお話の中で、45年後の未来からやってきた中年のび太が、少年のび太君に伝えた言葉です😀

 

ドラえもんのお話は、2025年未来の世界である時「セワシ」という少年が、

 

「何故うちはこんなに貧乏なんだ😂

 お年玉だって50円。何か原因があるはずだ🤔」

 

と調べていくとご先祖に「のび太」という人がいて、どうもその「のび太」が原因らしい・・。

 

「よし、のび太を救えば自分たちの未来も明るくなるぞ!」

 

ということで・・・・

 

家の子守ロボットの「ドラえもん」をタイムマシンでのび太の元へ送り込むことからお話が始まります😁

ドラえもんに助けられ、様々な事を経験しながらのび太は成長していくのですが・・・。

 

未来から過去にやってきたのですから、当然。

ドラえもんに出会わずに成長したのび太もいるわけで・・😅。

その「のび太」は大学入試に失敗してしまいます。

就職できなかったのですが・・・・

なんと自分で会社を興すのです!!

その会社は7年続きますが、自分でおこした火事が原因となって潰れて多額の借金を抱えてしまいます😂

 

そんな人生の酸いも甘いも嚙み分けたのび太だからこそ、少年の自分に伝えたかった言葉なのでしょうね!

まさに、何度もつまづいて、その度に立ち直ってきたのが「のび太」なのです。

 

日本も戦争から災害から疫病から、何度も何度も立ち直ってきました😀

それだけの強さと人をもっている国です。

必ずこの困難も乗り越えていけることかと思います😀😀

 

皆様と思いっきりの笑顔で過ごせる日々が早く訪れるよう・・・。

心から祈念しております。

Stay Home が教えてくれるもの。

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5月に入り、なんだか急に温かくなってきましたね😀

それもそのはず、明日の5月5日は「子どもの日」でもありますが、

日本の季節を細かく24つに分類した24節気の一つ「立夏」なんです🎏。

「立夏」とは、初めて夏の気配が現れてくる日や、夏めいてくる頃を意味します。

今年の夏も暑くなりそうですね😅

さて、緊急事態宣言が出で世界中で合言葉は

StayHome 家にいよう

そろそろ一か月が経過しようとしていますね😀。

皆さまいかがお過ごしでしょうか・・・。

 

「お家にいよう」の「家」とは

英語でhouse とhome なのですが・・・。

Stay Houseとは言ってませんね・・・。

house は家という建物そのもの。
home は家庭、自分が帰るべき場所、所属すべき場所。

調べてみると、そんな違いがあるんです😀

なので、home とはただ「家」というわけでなく・・・

自分が帰るべきの心の拠り所となる場所とも言えますよね😀

 

Stay Home とは、「あなたにとって大切なところにいましょうね」

とも言えるんじゃないかな?と思います。

こんな時期だからこそ、自分にとって「home」 とは何か?

自分にとって大切に、大事にしていかねばならないのは何なのか?

見つめ直す良いきっかけになればよいですね😊