» 2012 » 6月

文殊菩薩という菩薩をご存じですか?「三人寄れば文殊の智慧」とも言われますように仏教では智慧を司る菩薩として大変有名な菩薩で、法華経のお経の中にも登場されています。こんなお話があります。

むかしむかし、インドには、悪人ばかりが住んでいる国がありました。この国の人々は、いつも悪い事をしたり、乱暴をしたりしました。その事を知った目連(もくれん)というお坊さんが、仏さまにお願いしました。
「仏さま、わたくしを、あの悪い人たちが住む国へ行かせて下さい。何とかして、あの人たちを良い人間にしてやりたいのです」
 すると仏さまは、にっこり笑って、
「それは良い行いです。大変でしょうが、頑張りなさい」
と、悪い人の国へ行く事を許してくれました。

目連はさっそく悪い人の国へ行くと、人々に色々な話をして、良い人間になる為のお説教をしました。
「人間は悪い事をすると、その時は良くても後で必ず恐ろしい罰を受ける。そして死んでからも、必ず地獄へ落ちて苦しむのです。だから悪い事を止めて、良い事をしなさい。乱暴は止めて、困っている人を助けるのです」
ところがいくら目連がお説教をしても、誰一人話を聞こうとはしないのです。それどころか、

「はん、偉そうな事を言っても無駄だ。後でどうなるかよりも今が良ければいいのだ。お前なんか、帰れ、帰れ」
と、石を投げつけたりしました。目連は仕方なく、自分の国に帰ってしまいました。

さてこの話を聞いた、舎利弗(しゃりほつ)というお坊さんは、
「悪い人たちを導くには、やさしく言っても駄目だ。もっと、厳しくしないと」
と、仏さまの許しを受けて、悪い人の国へとやって来ました。
「お前たち、よく聞け!!今すぐ悪い事を止めないと、地獄で永遠に苦しむ事になるぞ! 助かりたければ、おれの言う事を聞くんだ!!」
けれどもこの国の人たちは、「何を偉そうに言っていやがる、帰れ帰れ!!」やはり舎利弗を嫌って追い返したのです。
その後も、五百人ものお坊さんが次々と出かけて行きましたが、誰一人成功した者はいませんでした。

そこで仏さまは、文珠(もんじゅ)という知恵のあるお坊さんを選んで、その悪い人の国へ行かせてみました。
悪い人の国へ着いた文殊は他のお坊さんたちとは違って、この悪い国と悪い人たちを褒めたのです。
「ここは、何と良い国だろう。そしてここに住む人々は、何と立派な人たちだろう。こんな良い所へ来られて、わたしは実に幸せだ」
いくら悪い人たちでも、褒められればうれしいものです。そこで人々は、自然と文珠の周りに集まって来ました。中には文殊に、ごちそうを出す者さえいました。
「このお坊さんは、とても偉い人だ。おれたちの事をわかってくれる」
「そうだ。今までのお坊さんは、おれたちを見下していたが、この人はおれたちを理解してくれている」
文殊は、みんなから尊敬されました。そこで文珠は、
「わたしの先生である仏さまは、わたしなどとは比べ物にならないほど、それはそれは立派なお方ですよ。
 その仏さまの教えを受ければ、あなた方はもっと幸せになる事が出来るのですよ」
と、言ったのです。すると、みんなは、
「それならぜひ、仏さまの教えを受けさせてくれ」
「おれもだ。おれも」
と、仏さまの教えを受ける事にしたのです。それを知った仏さまは、文殊の知恵を大いに褒めて、
「よくやりましたね。人を導くのは、とても難しい事です。ただ人に考えを押しつけるのではなく、その人の考えを理解し、その人とうち解ける事が大切なのです。お前はその事に、よく気がつきました。お前のおかげで、悪い国の人たちも救われるでしょう」
と、うれしそうに言いました。

 

この時から、優れた考えや知恵の事を『文殊の知恵』と言う様になったのです。

 

物事を教えたり議論したりするとき、私達はどうしても自分自身の持ってる知識や経験で物事を判断したり、喋ったりしてしまいがちですが、その人その人が歩んできた人生や考え、環境に寄り添い、理解しながら接するということはとっても大切なことですね。

「以佛教門 出三界苦 怖畏険道 得涅槃楽」

妙法蓮華経譬喩品第三の一節です、これは口語訳しますと「仏教の門を持って三界の苦、恐畏の険道を出てて 涅槃の楽を得る」、「仏様の教えによって、世界の苦しみや恐怖から出でて、安穏とした悟りの境地に至ることができますよ」という意味です。当山妙国寺の永代供養塔にはこの言葉が刻まれております。永代供養塔に入られた方々を護り導いてくださる仏像は「釈迦如来像」、お釈迦様の仏像です。手の形は「定印」と言いまして、心の安定を現す身振りで、お釈迦さまが悟りを開かれた時の姿を現しています。

代供養塔は「お子様がいらっしゃらず、お墓をもっていらっしゃらない」「お墓を作っても管理をする方がいらっしゃらない」「経済的にお墓を建設するのが難しい」そのようなお悩みをお持ちの方にお応えするために、お申込みをされた皆さんで入られるお墓です。亡くなられた方を個別に管理させていただく形と、「合祀」という亡くなられた方々がご一緒になって一つの所へ入られる形、二つの形がございます。

                          

・お骨を個別に安置する場合

       五十回忌まで、個人個人で区切られた場所に管理され、正面に入られた方のお名前をお刻みいたします。五十回忌まですみましたら合祀させていただきます。料金についてはお寺までお問い合わせください。

・合祀の場合

       納骨料のみのお支払いになりますので安価になります。一度納骨されますと、個別に取り出すことはできません。納骨の際は日蓮宗の儀式に沿ってご一緒にお弔いさせていただき、お寺の過去帳に記載いたします。料金につきましてはお寺までお問い合わせください。

お墓参りはいつでもできます。入られる方の宗教・宗旨は問いません。ご法事や、僧侶と一緒にお参りをされたい時はご予約をされてください。納骨は日蓮宗の儀式に沿って行います。納骨されるにあたって、詳しくお話を伺わさせていただきます。必要な方を優先させていただくために、場合によってはお断りさせていただくこともございます。人生の最後を迎えるにあたってお墓についてお悩みの方も多いと思います、そんなお悩みをお持ちの方々にお力添えできればと思っております。お預かりいたしましたお骨は当山が責任を持って供養、管理させていただきます。どうぞお気軽にお問い合わせください。

 

「写仏」とは読んで字のごとく「仏さまを写す」という行いの事です。「写経」がお経を写し取るのと同じように、仏さま(仏像)をなぞり、色を塗り、一枚の絵として完成させるのです。心の赴くままに仏さまに色をつけて塗り絵をしませんか?

色鉛筆等、すべて本堂に用意してあります。多様な菩薩、如来の塗り絵がありますので、ご自由に選んでいただき集中して本堂で仕上げてください。

法要や法事がない時などご自由に本堂にて体験できます。お寺へ御連絡の上おこしください。

 

マンダラとは「聖なる円輪」を意味するサンスクリット語です。2500年以上も前からある古代の芸術形態で、宗教儀式において、瞑想を助けるものとして用いられてきました。マンダラ塗り絵は長時間座って行う瞑想法とは異なり身体を動かしながら無心になる「動きのある瞑想法」です。無心にマンダラに色を塗っていくことで、日々のストレスから解放されて、心と体に深いリラクゼーションがもたらされ、一枚仕上げるごとに達成感と爽快感が得られます。

多様な種類があります。一心になって色を塗り、日ごろのストレスから解放されませんか?

本堂に、色鉛筆等用意してあります。法要や法事がない時でしたら、ご自由にどなたでも体験できます。お寺へ御連絡の上おこしください。

一歳五カ月の長男がだんだんと荒くなってきました・・・・。やはり男の子ですね、テーブルには必ず昇りたがります・・。目を離して静かにしてると思ったら必ず何かイタズラしてます・・・。落ちてるもの何でも食べようとします・・この前は、何かの幼虫を拾って、じーっと見つめて・・・それから口に・・・。寸でのところで止めましたが・・・。

そんな長男、最近、ウルトラマンに熱中しております、「ウルトラマン」男の子なら誰しもが小さいころに憧れるヒーローですね。父親の世代、いやもう今ではおじいちゃんたちの世代から今の子どもたちへと受け継がれているM78星雲 光の国からやってきた宇宙人です。

ウルトラマンが地球上でウルトラマンの姿で活動できる時間は三分です、三分に近づくと胸のタイマーがピコーンピコーンとなりだします。三分間しかあの姿で地球では活動できないんですね、3分間で怪獣と戦うんです。その、ウルトラマンのシリーズの中、「帰ってきたウルトラマン」の最終回にウルトラマンが地球を去る際に自分を慕う人間の子供に伝えた訓示のようなものがあり、これは「ウルトラ5つの誓い」と呼ばれてます。

・一つ、腹ペコのまま学校へ行かぬこと

・二つ、天気のいい日に布団を干すこと

・三つ、道を歩く時には車に気をつけること

・四つ、他人の力を頼りにしないこと

・五つ、土の上で裸足で走り回って遊ぶこと

なんか、子どものお約束というような感じなのですが、実はこの四つ目の「他人の力をたよりにしない」はウルトラマンのお話の中で、とても大切なテーマなんです。

ウルトラマンは強い、必ず怪獣を倒して護ってくれます。しかし、ウルトラマンが助けてくれることに慣れてしまった人間が「あぁ、怪獣か、どうせウルトラマンがきてくれるから大丈夫だ・・・」と完全にウルトラマンを頼りにしてしまったなら、いずれは自分自身の手でどうにかしようとしなくなってしまうんですね。

ウルトラマンだって、三分間自分の命をかけて人間のために怪獣と闘っています。ウルトラマンの力を頼りにするのではなく、人間も怪獣と命をかけて精一杯戦った、その時にこそウルトラマンは最大のパワーを発揮して人間と一緒に地球を守るために戦うんです。

 「他人の力を頼りにしないこと」

私達の生活の中でも言えますね、他人の力を完全にあてにしてしまって、それで失敗してしまったこと・・・皆様にも心当たりがあるのではないでしょうか?

このことは実は信仰の中にも言えることなんです。如来壽量品第十六というお経の中で、お釈迦様は「私(お釈迦さま)は滅することなくいつでも、いつの時代もあなたたちの傍にいるのだ。私は方便によって姿を隠したり、現したりしているんだよ。だから、本心から私を敬い、信じるならば、貴方達がせいいっぱい私に、救いを求めたのならば、たとえこの世界のいずこであろうともそこへ行って無上の教えである法華経を説きましょう、いつでもあなたがたを救い、導きましょう」こういう風に仰っています。

「南無」という言葉は心からおまかせするという意味です、「妙法蓮華経」妙法蓮華経というお経を示します、妙法蓮華経というお釈迦様の教え、お言葉を信じて、一体になるという信仰があってこそ、仏様は私たちを救ってくださるのです。ただただ、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えれば救われる、そういうわけではないんです。きちんとそこには、しっかりとした私たちの心のカタチが必要なんです。そうすれば必ず、お釈迦様は私達を仏に導くために助けてくださいます。