文殊菩薩という菩薩をご存じですか?「三人寄れば文殊の智慧」とも言われますように仏教では智慧を司る菩薩として大変有名な菩薩で、法華経のお経の中にも登場されています。こんなお話があります。
むかしむかし、インドには、悪人ばかりが住んでいる国がありました。この国の人々は、いつも悪い事をしたり、乱暴をしたりしました。その事を知った目連(もくれん)というお坊さんが、仏さまにお願いしました。
「仏さま、わたくしを、あの悪い人たちが住む国へ行かせて下さい。何とかして、あの人たちを良い人間にしてやりたいのです」
すると仏さまは、にっこり笑って、
「それは良い行いです。大変でしょうが、頑張りなさい」
と、悪い人の国へ行く事を許してくれました。
目連はさっそく悪い人の国へ行くと、人々に色々な話をして、良い人間になる為のお説教をしました。
「人間は悪い事をすると、その時は良くても後で必ず恐ろしい罰を受ける。そして死んでからも、必ず地獄へ落ちて苦しむのです。だから悪い事を止めて、良い事をしなさい。乱暴は止めて、困っている人を助けるのです」
ところがいくら目連がお説教をしても、誰一人話を聞こうとはしないのです。それどころか、
「はん、偉そうな事を言っても無駄だ。後でどうなるかよりも今が良ければいいのだ。お前なんか、帰れ、帰れ」
と、石を投げつけたりしました。目連は仕方なく、自分の国に帰ってしまいました。
さてこの話を聞いた、舎利弗(しゃりほつ)というお坊さんは、
「悪い人たちを導くには、やさしく言っても駄目だ。もっと、厳しくしないと」
と、仏さまの許しを受けて、悪い人の国へとやって来ました。
「お前たち、よく聞け!!今すぐ悪い事を止めないと、地獄で永遠に苦しむ事になるぞ! 助かりたければ、おれの言う事を聞くんだ!!」
けれどもこの国の人たちは、「何を偉そうに言っていやがる、帰れ帰れ!!」やはり舎利弗を嫌って追い返したのです。
その後も、五百人ものお坊さんが次々と出かけて行きましたが、誰一人成功した者はいませんでした。
そこで仏さまは、文珠(もんじゅ)という知恵のあるお坊さんを選んで、その悪い人の国へ行かせてみました。
悪い人の国へ着いた文殊は他のお坊さんたちとは違って、この悪い国と悪い人たちを褒めたのです。
「ここは、何と良い国だろう。そしてここに住む人々は、何と立派な人たちだろう。こんな良い所へ来られて、わたしは実に幸せだ」
いくら悪い人たちでも、褒められればうれしいものです。そこで人々は、自然と文珠の周りに集まって来ました。中には文殊に、ごちそうを出す者さえいました。
「このお坊さんは、とても偉い人だ。おれたちの事をわかってくれる」
「そうだ。今までのお坊さんは、おれたちを見下していたが、この人はおれたちを理解してくれている」
文殊は、みんなから尊敬されました。そこで文珠は、
「わたしの先生である仏さまは、わたしなどとは比べ物にならないほど、それはそれは立派なお方ですよ。
その仏さまの教えを受ければ、あなた方はもっと幸せになる事が出来るのですよ」
と、言ったのです。すると、みんなは、
「それならぜひ、仏さまの教えを受けさせてくれ」
「おれもだ。おれも」
と、仏さまの教えを受ける事にしたのです。それを知った仏さまは、文殊の知恵を大いに褒めて、
「よくやりましたね。人を導くのは、とても難しい事です。ただ人に考えを押しつけるのではなく、その人の考えを理解し、その人とうち解ける事が大切なのです。お前はその事に、よく気がつきました。お前のおかげで、悪い国の人たちも救われるでしょう」
と、うれしそうに言いました。
この時から、優れた考えや知恵の事を『文殊の知恵』と言う様になったのです。
物事を教えたり議論したりするとき、私達はどうしても自分自身の持ってる知識や経験で物事を判断したり、喋ったりしてしまいがちですが、その人その人が歩んできた人生や考え、環境に寄り添い、理解しながら接するということはとっても大切なことですね。