» 2010 » 5月

5月28日 19:00~ 第二回目の荒尾仏教塾が開催されました。今回のテーマは「写経」です。

私達が普段読んでおります「お経」というのはお釈迦様が我々衆生を死への恐怖、愛欲や煩悩という苦しみから何とかして救いたいと色々な状況や場面に応じた手立てをお説きになられた説法なのです。

お釈迦様がお弟子達に説かれたその説法が、お釈迦様が亡くなられた後お弟子達によって「お釈迦様はこうおっしゃっていたよ」と、まだ文字が発達していなかったため、口伝えによって広まっていきました。そして、ある時にその教えを文字にしてまとめようという動きが教団の中で始まりお釈迦様の説かれた教えがお弟子達によって文字に記録され、それが「お経」になったのです。そしてその教えが漢訳されて中国に伝わり、そして日本に伝わってきました。仏教を広めるためには、印刷技術が発達していなかった当時、経典を書き写してそれを伝えていく以外に方法がなく、これが写経の始まりと考えらています。

私達が信仰しております法華経の中には、写経の功徳について、こんなお話が出てきます。

 「妙法蓮華経法師功徳品第十九」より

 「若し善男子・善女人是の法華経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せん。是の人は当に八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て六根を荘厳して皆清浄ならしめん」

 法師というのは仏様の教えを信じ、ひろめて実行していく人のことです、何もお坊さんだけに限ったことではありません。法華経を信じる皆さんがこの法師なのです。

「人々が法華経を信じて心にしっかりと保つこと(受持)、そして声に出して読むこと(読)、暗誦すること(誦)、経文を解釈して人に説くこと(解説)、写経をすること(書写)の五つの種類の法師の行、すなわち五種法師行に努力したものは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が清浄になり素晴らしい功徳が備わるのだよ」という意味です。

六根が清浄になる。よく六根清浄という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?この六根とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六種の感覚器官であり、これらは私達衆生に煩悩を起こさせる根源であると考えられています。なので、その迷いを断つことを「六根清浄」と言います。

以前テレビで他宗のお坊様がお山に登るときに、「懺悔懺悔 六根清浄」と節をつけて唱えながら登っていらっしゃるのを拝見しました。山というのは聖なる場所であり、古来より人々は聖なる場所に登ることにより自分の罪障を懺悔して六根を清浄にしようとしてきました。

法華経では、先ほど述べました五つの種類の行に努力精進することによって六根が清浄になると説かれているのです。それはどういうことかと言いますと、清浄になるというのは仏さまになるということです。この身このままで仏様に近づくということなのです。浄土に行って仏さまになるのも一つの手段ですが、今生きているこの世界こそを、一人ひとりが法華経の教えに沿って六根を清浄にして仏になり、一人一人がお釈迦さまから何らかの意思をもって使わされたこの世界こそを、浄土の世界に変えていこうではないか!!というのが法華経の教えなのです。

 写経はこの五種法師行の一つです。心を静め集中する時間を作ることはこの現代社会では、あえて環境と時間を作らないと難しいものですが、写経をするとその時間自分が無になれ自分とむきあうことができます、また、この仏教塾で写経を致しますので是非ご参加してみてください。

 来月6月28日は 「お経についてのお話」です。 普段皆様が馴染みがあるお経を解説していきます。19:00~御参加お待ちしております。

法華経の熱心な信者であった宮沢賢治人の宮沢賢治に「雨ニモ負ケズ」という有名な詩があります。東北地方で貧しい農民たちと生活をともにした賢治が、その生き方に感銘を受けこういう人になりたい、と自分にいいきかせた素朴で力強い詩です。

 

 そのパロディーに「雨ニモアテズ」というのがあります。賢治のふるさと・岩手県盛岡市の小児科の医師が学会で発表したものだそうです。職業上多くの子供たちに接していて、まさにぴったりだと思ったといいます。作者はどこかの校長先生だそうです。

 

 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 

 意欲モナク 体力モナク

 

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ

 

まさに、現代の子どもの様子をうまく表した詩であると思います。

子どもの教育方針として最近メディアではさかんに、「子どもは褒めてのばしなさい!!」この言葉をよく耳にします。

教育現場でも家庭の中でも今、まさに「褒めて伸ばす教育」というのが主流になってきているようで、以前私が勤めていた保育園でも「子どもは褒めなさい。大げさでもいいから身体をつかって褒めなさい!!」と、盛んに上司に言われていました。

自分が子どもの頃は先生や両親に叩かれるのも怒られるのも当たり前、近所でいたずらをすれば怒られたし、テストで悪い点とっても怒られたし、悪いことをすれば素直に「ごめんなさい」と謝ったものです。

 今は時代が違いますから。とよく有識者やコメンテーターがテレビで言っています。うかつに子どもを叱ればその親から逆上されるし、子どもから逆上されて、事件にまで発展してしまうのも度度です。子ども自体も、親もナイーブになってしまい、叱ること、叱られることが精神的な苦痛になってしまうようです。確かに、褒めることは大切です。「~はダメ」「~だからダメ」などの否定的なマイナスな言葉しかかけられないような育て方は子どもの自尊心や人格を酷く傷つけます。褒められることによって子どもは自分自身を認めてもらえる喜びを味わい、物事の達成感を実感することができて、成長するのは間違いありません。 

しかし、この褒める育て方、この風潮があまりにも強くなりすぎることは、あまり良い影響を子どもや親、教育者、保育者に与えるとは思えないのです。

実際「ほめて伸ばす教育」が主となって行われた場合、「誰かが褒めてくれないと、誰かが見ているところじゃないと、善い事というのはやっても意味がないんじゃないかな?」という考えを生みださないでしょうか?そして親や教育者にしても「叱ってはいけないのだ、ここでイライラしてはいけない。」という考えに捕らわれ過ぎるとかえって自分の身を締め付け、良い教育などできないのではないでしょうか?自分の経験上、新人の教育者や保育者が叱らずに子どもの集団を育てるというのはかなり難しいことだと思います。

ならばこの先どのような教育が大切なのでしょうか?

法華経の最後の章、妙法蓮華経普賢菩薩勧発品において、お釈迦さまは法華経の教えを修行するうえにおいて四つの大切な項目を示されました。その四つの教えの中の一つに「諸々の徳本を植えなさい」ということが説かれています。徳の本を植えるということは、善根を植える、陰徳を積むということです、言いかえれば人が見ていない時こそ良い事をしなさいということです。いくら立派なことをしても「自分がやった」ということをひけらかしているようではいけません。人に褒められようが褒められまいが、そんなことは関係なく人の見ていないところでこそコツコツと善い事をする。

 

草や木が上に伸びていくためには、大地にしっかりと根を下ろさなければなりません。どんな場所にでも力強く黄色い花を咲かせるタンポポの花もその根は深くしっかりと大地に根ざしています。天高く伸びる大木もまた、大地にしっかりと根を生やしています。

褒めることも叱ることも自分を今評価してくれている誰かが見てくれていることを前提としています。しかし、このように人の見えないところにこそ根を生やすという生き方を教えることこそ今の時代に必要な教育であると思われます。

 

自分の祖父母の時代、子ども達は「誰かが見ていなくても、おひさまや、ご先祖さまはちゃんとみていらっしゃる」こう言われて子どもたちは育ってきました。今の時代、子どもの教育にはこの思想が欠けているのではないでしょうか?誰かが見ていなくても、ちゃんと自分を見てくれている存在がある、そして大きな優しさで護ってくれている存在がある。このことを教えることこそ大切な教育であり、宗教教育ではないでしょうか。

5月8日 月例鬼子母神祈祷祭 が執り行われました。

当山では、お寺の行事があるたびに、法要の後に来られた方にお斎(おとき)とよばれる昼食がふるまわれます。法要が始まる何時間も前から妙國寺台所係の方々が心をこめて作ってくださいます。おしながきは 筑前煮とも呼ばれます、ゴボウやシイタケ、人参、さといもなどを煮込んだ「がめ煮」や大豆をすりつぶして味噌と合わせて作った大豆のコクが充分に味わえる「呉汁(ごじる)」と呼ばれます、この土地ならではの郷土料理。どちらもお寺に来られた方の健康や栄養をしっかりと考えた妙國寺台所係の方々の丹精がこもった料理です。お寺にお参りにくると、御祈願や御祈祷、先祖供養ができるだけでなく、美味しい郷土料理も味わえるんですよhappy01!!是非一度食べにいらしてくださいね。

 

 5月8日は土曜日だったので、いつもお手伝いしてくださる檀信徒の方のお孫さん、小学生のあやちゃんともえちゃんが、エプロンと三角布を装着し、参拝された方のおときの配膳や片づけ、掃除などをお手伝いしてくれました。二人ともえらいhappy02!!

ありがとう~shine!!

5月8日 「月例鬼子母神祭」 11:00~

月8日(土)は月例鬼子母神祭が11:00より行われます。4名の日蓮宗修法師によります祈祷と法話がございますので、様々な御祈願がある方、お祓いを受けたい方、来られる方の宗旨・宗派は問いません。どうぞ、お気軽においでください。

5月28日  「第二回荒尾仏教塾」 19:00~

☆日時:5月28日 19:00~21:00

☆場所:大乗山 妙國寺

☆内容:唱題行

    :写経

「妙法蓮華経一部八巻二十八品」よりお一人約千文字程度

     :茶話会

 ☆持参品:書道用具

☆参加費:写経セット代金 3000円

 写経セットは 日蓮宗熊本県青年会「写経の会」で販売されております写経セットを使用します。写経セットを事前に用意しなくてはなりませんので、今回の荒尾仏教塾のお申込みは5月20日までにお願いします。

興味のある方 ご連絡お待ちしております!!

先日、「立教開宗会」という記念すべき日に4月28日に 当山にて 「第一回 荒尾仏教塾」が19:00より行われました。

「普段、お寺にお参りするのは誰かのため。しかし、今日は自分のため、自分を高めるために、様々な事を感じ、学びとってください。」との住職の挨拶のあと、19:00から薄暗く厳粛な雰囲気の本堂の中で、自分の心身を落ち着かせ、瞑想と唱題行。その後、抹茶をいただき、今回は初回ということもあり、仏教とはどういう教えなのか?や、仏教の開祖である、お釈迦さまの生い立ちや成道から涅槃にいたるまで、そしてお釈迦さまが最初に説かれた 「縁起」「四諦」「八正道」の教えについて勉強しながら、お茶を飲み、座談会が行われました。

雨天の中、10名参加していただき、企画した方としましても大変嬉しく感じました。 是非、普段から「仏教のこういうことを、聞いてみたい、知りたい」と思っていらっしゃる方、自分自身の悩みや苦しみと向き合っていらっしゃる方、仏さまの教えに、是非お寺で、触れてみてください。仏さまの教えの中に必ず救いはあります。