» 2019 » 7月 » 11

ゲゲゲのこと

| ちょっとしたお話 |
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「見えてる世界がすべてじゃない 見えないものもあるんだ・・ほら、君の後ろの暗闇に・・・」

 

というなかなかインパクトのある台詞で始まる日曜朝九時のアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」

私が生まれる前からあったアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」ですが、子どもの頃見ていたゲゲゲの鬼太郎(第三期)とは時代も妖怪たちも新しくなって今放映されているのが第六期。

 

鬼太郎もイケメンになり、ネコ娘も可愛くなっています😀

 

ゲゲゲの鬼太郎、知らない人はいないだろう。というくらい有名なアニメですね。

砂かけ婆、ぬりかべ、こなき爺、ネズミ男など色んな妖怪がでますが、この「ねずみ男」という妖怪がトラブルメーカーで、欲深くて色んな妖怪を巻き込んで人間に迷惑をかけてそれを鬼太郎が解決するというのが大筋ないつもの流れですね😅。

 

この今放映されているゲゲゲの鬼太郎がなかなかどうして、ブラック企業、SNSいじめ、水道民営化、などの社会問題に切り込んでいるんです😁

 

先週の日曜何気なく子ども達と見ていると・・・。

 

またいつものように、ねずみ男がお金儲けのために悪い妖怪と結託して人間に迷惑をかけます。

そこに妖怪を倒す力を持つ人間がねずみ男の仕業だと知り、ねずみ男を殺そうとします。

 

しかし、そこへ鬼太郎がねずみ男を助けに来るのです。

 

人間は言います。

「何故ねずみ男をかばう?鬼太郎、お前は悪事を働いた妖怪を山のように退治してきたではないか!」

鬼太郎は言います。

「ねずみ男は、確かに同じような過ちを繰り返して改心する気配すらない!」

「では何故助ける?」

こういうやつが生きる余地のない世界こそ僕が最も嫌うものだからだ!!

 

鬼太郎は戦いながら語ります。

痛い目にあって詫びれば許したい。許せる自分でいたい。悪人を許すことができず、皆殺してしまえという考え方こそ異物の存在を許せず一色に凝り固まって、そのおかしさに気づけない事こそ僕は一番恐ろしい

 

いやはや・・・。子ども向けのアニメなんですが思わず見入ってしまいました😬

深い言葉ですね・・。

 

よく日本人は少数意見の人に対して多数意見の人の考えを暗黙的に強制する「同調圧力」の強い民族であると言われます。

人は誰しも少なからず多数派の立場にあって安心感を感じたり、優越感を感じたりします。

誰だって少なからずこういう面はありますよね。

 

罪を犯してしまったらそれ相応の報いは受けるべきです。償うべきです。

間違った事をやってしまったら、心から謝罪し、繰り返さないようにしなくてはいけません。

 

しかし、今のニュースやネットの世界では、一方的に集団になり、正義を振りかざして叩く。

とにかく間違った事をした人言った人はどんな人でも叩く。

あいつが悪いんだ!!みんなで叩いてしまえ!

私達は正しい事をしているのだ!!

 

残念ながらそんな景色がよく見られます。

 

鬼太郎は半分人間、半分妖怪。

どちらから見ても異物の存在。

そんな少数派な存在だからこそ、多様性を認めることに気が付けるのかもしれませんね。

 

お経の中に「全ての人々はやがて仏になる存在なんだ!だからすべての人は尊い!

と、出会う人々に手を合わせ続け仏になられた常不軽菩薩という菩薩さまが出てきます。

 

どんな人でも尊いのである。

 

この菩薩さまのように全てを受け入れなさい。というのは難しいことかもしれません。

 

しかし、私達は自分と違う人、違うものの考え方の人、過ちを犯した人、正しさを主張する人。

 

色んな人に囲まれて生きています。

 

大切なのは表面だけで見ない事。

 

人それぞれいろんな世界があって、自分の世界、見えているものだけが全てじゃないんだ。

そう気が付くことですね!

 

ゲゲゲの鬼太郎は色んなことを教えてくれます😀。