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本日11月8日に、当山では宗祖日蓮大聖人お会式法要が執り行われました。

この日を境にして、当山の日蓮聖人像も冬支度をし、綿帽子をかぶります。

毎年11月8日のお会式から仏壇や本堂の日蓮聖人のお像に綿帽子をかけて冬支度をします。

これにはいったいどのような由来があるのでしょうか?

文永元年八月に故郷房州に戻り、母を見舞った日蓮聖人は、十一月には工藤吉隆の元に招かれました。その道中、小松原で地頭の東條影信らの手勢に襲われました。熱心な念仏信者であった東條影信は、師の道善坊にそむいてまで熱心に法華経を説く日蓮聖人に対して深い敵意を抱いていたのです。これは、四大法難のひとつ「小松原の法難」と呼ばれています。

一行は必死に防戦しましたが、お弟子の鏡忍坊、工藤吉隆らは討ち死にし、聖人ご自身も影信に切り付けられ、額に三寸ほどの疵をうけてしまわれました。そして奇蹟的に鬼子母神の御加護で救われた日蓮聖人は、夜道を逃れ、小湊山の近くに辿りつかれました。やがて、谷間の水で疵を洗い、経を読みながら、身を隠した岩窟の砂を疵口にぬって血を止めたということです。その翌朝、額に深い疵をおって岩窟に隠れている聖人の姿を見かけた「おいち」という老婆が、とっさに自らかぶっていた綿を聖人に差し上げたということです。

これが綿帽子の由来ですが、寒くなると痛んだであろう聖人を偲んで、秋のお会式から4月8日のお釈迦さまの誕生日まで聖人のお像に綿帽子をかぶせるようになったのです