「ありがとう」
私達が何気に口にする感謝を表す言葉です。
何故 ありがとう なのでしょうか?
ありがとうの語源は「有難し(ありがたし)」
有ることが難しい、つまりは今あることはめったにないことなんだ。
という意味のようです。
原典は法句経の一節の中に出てきます。
ひとの生を うくるはかたく
やがて死すべきものの
いま生命あるはありがたし
人として生まれてきたことも、今命あるものがこの瞬間を生きていることもありがたいこと、めったにないことなのだよ。
というような教えです。
「ありがとう」
こんなに人の想いがこもる言葉は他にないのではないでしょうか?
今生での最後のお別れの場であるお葬式にも必ず「ありがとう」という言葉が自然と生まれてきます。
先日も亡くなったおばあちゃんへお孫さん達3人がお一人ずつお手紙を読まれ、小さいころの思い出、たくさん遊んでもらったこと、自分の味方になってくれたこと、たくさん心配してくれたこと、可愛がってくれたこと・・・。
「ありがとう」「ありがとう」と何度も涙を流しながら仰っておられました。
私達が亡くなった方へ「ありがとう」と言葉をかけるのと同じようにきっと私達が生を終える瞬間、自然にわき出てくる言葉も「ありがとう」なのではないかと思います。
一昨年私がお世話になっておりました茶道の先生が急にお病気でお亡くなりになられました。一本筋の通った芯の強い、しかしながら生徒想いの人間味の溢れた素晴らしい先生でした。最後まで教室を続けられお弟子さんお一人お一人に、カルチャースクールに通っていた末端の私まで病床で「ありがとう」というお手紙を残してくださいました。
今自分がいる状況がどのようなものであってもこの瞬間を迎えることができているのは、いろんな有難いことがあったからなのです。
だから「ありがとう」なのですね。
弘安五年十月十三日の午前八時、日蓮大聖人は東京池上の地で御入滅されました。
しかし、その教えは時代が変化していっても変わらず私達を導いてくださっています。
そのご恩に報いる法要、「日蓮大聖人報恩御会式法要」を
11月8日(日) 11時より
当山にて執り行います。お参りいただいた方に仏壇に飾る桜の模造花、お祖師様の綿帽子、紅白饅頭をお配りします。
当日は月例鬼子母神祭も執り行います、日蓮宗の木剣加持祈祷があります、祈願をされたい方、時期的に言えば「七・五・三」がまだお済みでない方是非お参りください!
ささやかなプレゼントつきです。祈願のお申し込みをされたい方は事前にお寺までお電話かメールをください。
ついでに今回私が久々に法話します!
ご都合よろしければどうぞいらっしゃいませ。