サプライズ

| ちょっとしたお話 |

あっと言う間に4月も半ばです。桜の花も一瞬で散ってしまったような気がします

この季節は卒業式や新しい生活や環境が始まる前の区切りの月ですね。

思い返しますと2007年の今日に熊本に戻ってきて8年も経過してしまいました。

色んなことがありすぎて、本当にあっと言う間の8年間でした

もうすっかり熊本に馴染んでしまいましたが・・・・・

大阪で4年と東京で5年、こちらへ戻って8年、その土地でしか通用しない常識や言葉、風習、戸惑ったこともあったなぁと懐かしく思いだされます。

さて先日、「熊本あるある」という本を本屋さんでみつけました。

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熊本人には常識でも他県の人から見れば「え?」ということが盛りだくさんです。

ある意味色んな事を新発見できる本です

例えば・・・

「熊本では入口に あとぜきお願いします と貼ってある」

「片付けることを なおす という」

「熊本では絆創膏のことを リバテープ という」

「筋肉痛のことを こわった という」

「たいがいのことはよかたいよかたい」などなど・・・ 

自分の周囲では常識だと思っていることも他県の人からみたらそれは常識ではないのか!ということは結構あるものですね。

この本の初めに「熊本サプライズ運動」について書いてありました。「熊本サプライズ運動」って言葉ご存知ですか?言葉自体は「くまモン」とセットになってよく目にするのですが・・・。簡単にいうとこの運動は、

「当たり前の日常を見直してそこからサプライズを見つけて良さを再発見しよう」というのが意味だそうです。

私たちの日常は他人を妬んだり羨んだり比べたり、つきることはありません。

しかし、実際は妬んだり羨んだ人もまた同じように誰かを妬んだり羨んだりしているものです。

だからこそ私たちもまた「熊本サプライズ」ではないですが、同じように自分自身の中にあるサプライズに目をむけなければなりませんね。

法華経の中でこんなお話しが出てきます。仕事で成功してお金持ちになった親友の家に遊びに行った男がつい飲みすぎて酔いつぶれて寝てしまいました。親友はどうしても行かなければならない用事があり、その男を一人残して家を出ましたが、まさかの時に役立つようにと、酔いつぶれて寝込んでしまった友人の衣服の裏に、値のつけようのないとても高価な宝珠を縫い付けて出かけたのです。

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ところが、その人は親友のそうした行動には全く気がつかず、あちこち巡り、他生活も困窮していました。

その後、親友は彼と再会し、彼のみすぼらしい様子を見て驚いてこう語ったのです。

「友よ、君はなんという愚かな人間だろう。私は昔、君がもっと楽な生活ができるようにと思って、値のつけようもない立派な宝珠を衣服の裏に縫い付けていたではないか。今も確かにあるはずだよ。早くその幸せに気づきなさい、そうすれば何も憂うことも悩むこともないのだよ」

このお話は、お釈迦様の五百人のお弟子たちが「値のつけようもない立派な宝珠」つまり、自分もお釈迦さまと同じように仏になれるという可能性を自分らも知らない間にお釈迦様から頂いていたのか!ということに気付いた喜びを例え話にしたものです。

私達もまた、お釈迦さまから「値のつけようもない立派な宝珠」つまり、「私達が必ずお釈迦様に導かれて霊山浄土という浄土の世界へと行くことができるのである、どんなときにもお釈迦様がいずれは仏様になるように導いてくださる」というかけがえのない宝物をいただいているわけなのです。

だからこそ、この世界で私たちはそれぞれが違う何かの役割を持って産まれてきます。違うからこそ人は他人と比べて妬んだり羨んだりしているのですが・・・。その役割こそが仏様からいただいたサプライズです。

いずれ誰しもは仏様の国へと導かれるわけです、その時が訪れるまで、この世界でのあなただけの大切な役割、しっかりと果たしていきましょう。