人はその命がつき、霊前浄土という浄土の世界へたどり着くまでに四十九日という旅に出ます。
死出の山や冥途の道や三途の川が出てくる旅です。
その区切りである七日ごとには生前での罪を裁く裁判が行われるのです。
初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日 故人の前でお経をあげます。
そしてご遺族の方々と共に
「この方はこんなに素晴らしい方だったんですよ、この世界でこんなに多くの方に愛されて旅立たれたんですよ。」
とその裁判官に伝えるとともに、無事に浄土の世界まで行くことができるようにお祈りします。
この期間のことを「中有」または「中陰」と呼びます。死から次の生をうけるまでの期間という意味です。
その七日ごとのお経にお伺いした時のお話です。
お伺いしたその家には高齢の奥様が一人暮らしていらっしゃいました。
お亡くなりになられたのはご主人でした。八十三歳のご生涯でした。
お経が終わりポツリポツリと思い出話を聞かせていただきました。
「この人は、六十歳の時に大病を患いましてね・・・
それはもう大変だったんです・・・。
半身不随になってしまって・・・。
だけどそれから二十三年間生きてくれました。
ほんとうに強い人でした。厳しい人でした。
私にも厳しかったけれど・・。
ご飯は固めじゃないと食べなかったし、
ご飯の時間はきっちり守らないと気がすまない人で・・・。
だけれど、自分にも厳しい人でした・・・。
ちっとも弱音を吐かずに、
暇さえあればバーベル片手にリハビリをして・・。
いつもビニール片手に落ち葉を拾って家を掃除して・・・。
今でも病院に行けば会える気がして・・・。
いつものご飯の時間になったら、台所に来るような気がして・・・。
全然、いなくなった気がしないんですよ。」
祭壇には「ありがとう・・・」心のこもったお孫さんからの手紙、
家の中には、まだご主人の思い出の品がたくさんそのままの形でありました。
四十九日はお亡くなりになられた方々の旅路ではありますが、同時に遺族の方々の心の整理の旅でもあるのです、ゆっくりゆっくりと思い出を大事にしながら時間をかけて・・・。
少しづつ、少しづつ七日ごとに区切りをつけていく・・・。
遺された方々がその後きちんと歩いていけるように、四十九日に納骨をし、お墓や納骨堂にお骨を収めて一応の区切りをつけていくのです・・・。
「残り生(よ)が 一年刻みと なりしこと 妻と笑えり あとさきいずれ」
大正―昭和時代に活躍された歌人 坪野哲久さんの歌です。
きっとお二人ともこのような心持ちではなかったのでしょうか・・・。
だからこそお亡くなりになられた後も温かい日差しのように傍にいるように感じれるのでしょう。
お傍で共にお祈りしてゆきたいと思います。