妙国寺紹介

妙国寺とは

明治42年 開基 正明院日示上人が32歳、修行僧として各地を行脚の折、偶然荒尾の地を踏まれ、西の峯(今の万田西=第二小学校校舎裏手)にこられた折、当時不可解な出来事に悩まされたり、病に苦しむ人多く、頼まれるままに逗留され、御祈祷なされたところ、不思議にも皆治り、不可思議な出来事も無くなり、人々は歓喜して法華経の有難さを知り、この地に是非留まれるよう懇願しました。

上人もあまりの熱意に打たれ、ここに日蓮宗の教会所として初めて西の峯に開設されました。
そして12年後 大正10年、西の峯より現在の万田東にお寺を建立、昭和19年1月、寺号を「大乗山 妙国寺」としました。

幟(妙国寺境内)

沿革

正明院日示上人

開基 正明院日示上人

開基 正明院日示上人(塩田義山)
2世 辰光院日龍上人(塩田義力)
3世 塩田義洋上人
4世 玄光院日秀上人(渡邊義俊)現住職


境内

守護神
お寺の守護神

ある日の夕方、開基上人がいつものようにお勤めをされ、部屋に戻ってこられ、ふと庭を見られた時、泉水の向こうに甲冑を身に着けた武将がもの言いたげにこちらを見て立っていました。

上人が「何か御用ですか?」とお尋ねになると武将は「この辺りは合戦のあった地で、我ら多くの武将達が討ち死にしており、そのまま放置されてしまって成仏できなくて迷っており是非ともお経を頼みに参った者、願い叶わば必ずやこの地を守護すべし」と申したのです。上人は「ではこちらへ」と招かれて御本堂に導き、お経をあげ弔われると、その武将は満足し消えてしまったそうです。

このことがあってから当山ではこの武将を当地の守護神としてお祀りしています。

本堂
本堂

昭和20年に初代住職が建設された本堂が戦争での爆撃により焼失、昭和27年に仮本堂を建設され、昭和55年に現住職が檀信徒の協力を得て鉄筋コンクリート造りの本堂を建設しました。

墓地納骨堂

当山の檀信徒の方を対象に敷地内に墓地・納骨堂を設置・管理しております。
お盆、お彼岸、正月の時期になりますと全国各地からもたくさんの方がお参りに来られます。

墓地 納骨堂
朝のおつとめ

当山では毎朝7時より本堂にてご先祖様の供養、ならびに皆様の身体健全を祈願する朝のおつとめをおこなっております。
参加は御自由です。健康増進のため、お経の練習のため、何かの願掛けのため、朝の散歩ついでに軽い気持ちでどうぞご参加ください。お経本をお持ちでない方はお貸しします。

朝のおつとめ 朝のおつとめ

日蓮聖人御影

日蓮宗とは

日蓮聖人は、鎌倉時代、国が荒れ、人々が天災や動乱で苦しんでいる姿を見、何とかしてこの国を救う手立てはないものかと、仏教の開祖であるお釈迦様がお説きになられた経典を全て読まれました。

そして、その中から「法華経」という経典こそが私たちを救うためにお釈迦さまが説かれた経典であるとの確信を抱いて、1253年4月28日 日蓮宗を開創されたのです。

その後日蓮聖人は生涯をかけて全ての人々を救い、人々が暮らすこの世界こそを人々が安穏に暮らせる浄土とするために法華経の教えを弘め、その身でもって法華経の教えを実践されたのです。

日蓮宗は日蓮聖人の教えを受け継ぎ、お釈迦さまが説かれた最高の教えである法華経、ならびに仏教全体の最も大事とされる法華経のお題目、すなわち「南無妙法蓮華経」と唱えて法華経を信仰し、その信仰と思想をひろめることによって私達の世界を仏の国土に清め、生きとし生けるものを仏と等しくさせて、人々が幸せに暮らせる安穏な世界にすることにあります。

妙国寺寺紋

鬼子母神
祈祷
安産・子育・厄払

日蓮宗 大乗山
妙國寺

熊本県荒尾市万田239

電話:0968-62-2107