» 2009 » 10月

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

これは明治36年生まれ、大正末期にすぐれた作品を発表し、26歳という若さでこの世を去った金子みすずさんという童謡詩人の方の詩です。

みんなちがって、みんないい。

法華経の方便品第二には「諸法実相」という教えが説かれています。「この世の中で、あらゆるものすべてが真実のことを示すために存在している。世の中にあるものはすべて理由があって、みな存在している。世の中に不必要なものなどない。」という教えです。

私たちは何かとすぐないものねだりして、人を羨んだり、優越感を感じたり、メディアでは盛んに勝ち組、負け組だの揶揄したりして誰かと比べあっています。そんな私たちにお釈迦さまは、「そんな価値観を持つのはやめなさい。この世に存在しているものはすべてそのままで、そのままが素晴らしいのだよ・・・」とおっしゃっているのです。

つまりは、みんなちがってるし、そこがいいんじゃないかってことですね。

よく子どものころ「OOちゃんのお家だってOOちゃんのお家だってゲーム買ってもらったんだって~!いいな~うちもいいでしょ。買ってよ~」と言うと「よそはよそ、うちはうちでしょ。」と言って母親にたしなめられていました。子どもの頃はすごく理不尽に感じていたこのやり取り、今思えば、あながち間違いではないのかもしれません。

私たちが何かを判断する時に使用する自らの価値観・・・。それは本当に正しいものでしょうか?

この金子みすずさんの詩と方便品第二を読むと

狭い世間の価値観で良し悪しを判断して流されてはいけないよ。価値観をもっと幅広く持ちなさい。もっと大きな視野で物事を見なさい。

こんな声が聞こえてきそうです。             義専

桜の花つくり

| 妙國寺にゅーす |

10月20日(火)

10M-0101
お寺にて、桜の模造花つくりが行われました。

和紙に型をとった桜の花弁と葉を切り、食紅で染めて竹ひごに糊ではりつけます。

全部で200本作成しました!!

朝早くからご参加いただき、ありがとうございました!

この桜の花は11月8日(日)お会式にて配布いたします

10M-011

ぜお会式に桜の造花をお配りするのか?と言いますと・・・

日蓮聖人が亡くなられたとき、庭の桜の木までも嘆き悲しみ、季節はずれに桜が咲き誇ったという伝承にもとづいているのです。

11月8日(日)お会式には、お仏壇の日蓮聖人像の綿帽子も配布します。どうぞお仏壇の冬支度もなさってください。

8-016

10月8日 月例鬼子母祭がありました。台風の影響もあり、風の強い中のご参拝御苦労さまでございました。

次回は11月8日 十一時より お会式/月例鬼子母祭 がございます。日蓮聖人に報恩感謝の祈りを捧げます。参拝された方に仏壇の日蓮聖人像の綿帽子と桜の模造花を来られた方にお配りします。法要・御祈祷・本妙寺塔頭 知運院住職 山田義晴上人の法話がございます。どうぞお誘い合わせのうえお参りください。

「お経」と言われて皆さんは何を想像されますか?

お葬式の時にお坊さんが唱えるなんかよくわからないけど難しい言葉。

悪い霊とかを払う呪文。

などなど・・・。

一般的にお経とは何なのかよく知られていないのが現実です・・・。

仏教とは仏の教えという意味なのです。その仏とはお釈迦様のこと、お釈迦様は29歳の時に出家されて6年後、35歳の時に真理に目覚められ、悟りを開かれてから80歳で入滅されるまでの45年間様々な教えを説かれました。

その教えの数は膨大で、俗に八万四千の法門(教え)と言われ、数多くの種類がありますが、正確な数字は不明です。お釈迦様の時代には、その教えを記録に残すことはご法度だったようです。暗記だけが唯一の方法でした。お釈迦様が亡くなられた後、十大弟子と約500人の弟子たちが数々の尊い教えを正しく伝えていくために、その教えを編纂しようと集まりました。しかし、それは言葉を書き留めたわけではなく、お釈迦様の教えの内容に食い違いがないかをたがいに耳で確認しあっただけでした。そしてその教えは何百年も受け継がれていき、文字に記録されお経ができあがったのです。

つまり、キリスト教に「聖書」があるように、イスラム教には「コーラン」があるように、仏教徒のための教えが説かれた「経典」、お釈迦様の教えの言葉を弟子たちが何百年もかけてまとめたものがお経なのです。なので、お釈迦さまが説かれた教えの経典は必ず「如是我聞」(私はお釈迦様からこのように聞きました)という文句から始まっています。

なら、なぜ私たちお坊さんはお経を読むのでしょうか?

お釈迦様の時代やその入滅後、弟子たちはその教えの内容を確認しながら、経典の編纂を行うために、何度も声を出して経文を繰り返して読んでいたと考えられます。声を出して読むことにより経文を覚えて、お釈迦様の教えを学びとっていったのです。また、お経を読むこと自体に功徳力があると信じられて、考えられていました。日本では中国から経典が伝えられたこともあって、その当時の主流であった中国南方の発音の呉音でお経は読まれます。ただ、例外もあって、密教の経典には漢音でよまれるものもあるそうです。

というように、お経とは、実はお釈迦さまがなんとか私達の生きるうえでの様々な苦しみを救おうと、色々な場面や状況に応じた手立てを示してくださったのがお経なのです。

お経のどの部分を大切にするかによって日本の仏教の宗派が様々に分かれてきたのですが、元を戻せばひとつであり、すべてがお釈迦様の教えなのです。

お経をただ読むだけでもそれは大変功徳のあるものですが、お経の意味を知っていくと悩んだ時、苦しい時、いろんな場面で私たちを生きる道しるべとなるのです。

                                                           義専

*参考文献「仏教早わかり百科」