今月のお寺の掲示板は「法句経」というお経の一節です。
法句経はお釈迦様がご入滅されてから約100年くらいの間にできた最も古い経典、原始仏教の一つで、
青年僧時代のお釈迦様の人生訓をしるした「論語」のようなお経です。
それぞれの教えが一組の相対する詩のようになってます。
意は諸法にさき立ち
諸法は意に成る
意こそは諸法を統ぶ
けがれたる意にて
且つかたり 且つ行わば
轢くものの跡を追う
かの車輪のごとく
くるしみ彼にしたがわん。
もろもろの事象は意志に従って生起する。それゆえに、意志はそれらに対して支配者であり、作者である。
誰でも、もし不純な意志をもって、或いは語り、或いは行うならば、やがて、くるしみは彼にあとづける。
ちょうど、車を挽いてゆくものの足跡を追ってゆく車輪のように。
そして対になっている一節が
意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
諸法は意に成る
意こそは諸法を統ぶ
きよらかなる意にて
且つかたり 且つ行わば
形に影のそうごとく
たのしみ彼にしたがわん
もろもろの事象は意志に従って生起する。それゆえに、意志はそれらに対して支配者であり、作者である。
誰でも、もし純な意志をもって、或いは語り、或いは行うならば、やがて、くるしみは彼にあとづける。
ちょうど、離れることをしない影のように。
「法句経 友松圓諦訳 より」
簡単に解説しますと・・・
諸法とは「すべてのもの、出来事」を意味しますから。
私達の想いが全ての出来事を形成し、想いによってその出来事の結果は変化する。
ですから・・・
何をするにも始めるにもまず、その「想い」がどうなのか?
自分が!自分が!になってないか?
それは周囲や人を幸せにすることなのか?
きちんと問いかけることが大切なのだよとお釈迦様は教えてくださっております😃