萬霊供養塔

| ちょっとしたお話 |

妙國寺の境内の一角には「萬霊供養塔」が建っています🍀

萬霊供養塔とは、文字通り、万の霊、一切の霊を供養するための塔です😐

ここに在るのが当たり前すぎて・・・・

何故供養塔がここに建っているのか?

いつ建ったのか?

子どものころなどは考えることも無かったのですが・・

改めて良く見ると・・

昭和三十六年十一月十七日

殉国 岩下陽子 第十七回忌

       父 岩下 末一

       母 岩下 こずえ

 

と刻んであり、岩下陽子さんの17回忌の為に作られたのか・・・。

昭和36年なら2代目の住職さんの時ですので、渡邊家は荒尾にまだ来ていません・・。

殉国ってことは、戦争でお亡くなりになられたのかな?

と思っていると・・。

横に詳しく刻んでありました。

 宝塔建立発願の意趣

 

殉国 岩下陽子 大正十五年十二月二十五日生 

大東亜戦苛烈となるや志願して北京陸軍病院看

護婦として勤務中 昭和二十年十一月十七日

悲痛極りなき死を遂ぐ

法名 大忠院婦道日玉大姉

荒尾市出身 千七百有餘人柱の戦没者も亦

同様無慙の死を遂げられし者多し、痛恨洵

に堪え難し、茲に萬霊供養塔を建立し以っ

て是等の英魂を慰め併せて有縁無縁萬霊の

冥福を祈願す

昭和三十六年十一月十六日 岩下末一

 

と刻んでありました・・・。

文字を写していくたびに体が震えるような感じがしました・・。

 

昭和20年11月17日であれば、岩下陽子さんはまだ18歳。

自ら志願して戦地にて看護師として勤められ、戦争は8月15日に

終わったはずなのに、日本に帰れず、そのまま戦地でお亡くなりになられた・・。

 

本人の無念さとご両親の悲しみはどれほど深かったことでしょうか・・・・。

 

そして、ご自身の娘さんの為だけでなく、荒尾市出身の千七百あまりの戦没者の

方々の無念さを想い、冥福を祈願し、この供養塔を建立されたその志に胸が熱く

なりました・・・。

 

そして、今のウクライナの状況がこの文章と重なりました・・。

 

ニュースで一方的にしか知ることはできませんが・・・。

戦争で悲しむ人が少しでも減るよう・・。

早く平和が訪れるよう・・・。

 

祈り、この塔をしっかりと受け継いでいきたいと思います。