暑さ寒さも彼岸まで、その言葉の通り朝晩と随分と涼しくなってまいりました。さて、皆さま今回のNHKの大河ドラマは見ていらっしゃるでしょうか?

戦国時代最後の名将 真田信繁(幸村)の生涯を描いたドラマ「真田丸」。このお話の中に熊本のシンボル的な存在、「せいしょうこうさま」、加藤清正が度々出ていらっしゃいます。

加藤清正といえば法華経を篤く信仰された方、熊本市内にございます、日蓮宗のお寺「本妙寺」にさまにそのお墓があり、何より「熊本城」をおつくりになられた方です。

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こんなお話が残っております。

 

徳川家康が、1606年に江戸城の増築工事を諸大名に命じました。

各地の大名にとってみては、その労力と費用が無償で提供しなくてはいけませんので、たまったものではありません。自分達に割り振られた部分をいかに速やかに終えるかが経費の負担を大きく左右するのでした。

 

桜田から日比谷にかけての石垣造りは、熊本城主の加藤清正と和歌山城主の浅野幸長(よしなが)に命じられました。

 

加藤家では、建設現場に沼が多い事を確かめますと、まず付近の山からカヤを刈り取ってくるように指示を出しました。毎日、大量の「カヤ」が運び込まれてくる。それを次々に沼に投げ込んでいく。さらに土をかぶせて、平坦なグランドが出来上がると、今度は、十歳から十四歳くらいの子どもを大勢集めてきて、思う存分、遊ばせました。朝から夕暮れまで、大人も交じって、笛や太鼓をたたき、踊ったり、唄ったり、大変な騒ぎが何日も続きました。

 

一方、隣の浅野家では、沼を埋めたらすぐに石を積み始めました、工事は至って順調です。石垣が半分以上に出来上がる頃になっても、加藤家の持ち場には石さえ運ばれてこない。子ども達と一緒に遊んでいるだけなので、浅野家の家臣は「一体、何を考えているのか、もっとまじめにやれ」と嘲笑っていました。

 

加藤家の現場監督は、子ども達に踏みしめられて、充分に固くなった地盤を確かめてからようやく石垣を築き始めました。

 

当然ではありますが、完成したのは、浅野家よりもずっと後でした。

 

間もなく、江戸を台風が襲いました。すさまじい暴風雨です。この大雨で地盤が緩み、浅野家が築いた石垣は、何か所も崩れおちてしまったのです。しかし、慌てず、急がず、じっくりと基礎を固めてから築いた加藤家の石垣には、少しも損傷が無く、基礎をおろそかにした浅野家は、かえって修復工事に莫大な経費を投ずることになってしまったそうです。

 

加藤清正公は治水や築城、土木事業でその手腕を振るわれ、治山・治水の神として崇められるまでになりました。これも何よりも工事の根本かなめである基礎を大切にした清正公の想いがあったからです。

 

先日の熊本地震では、熊本城は大変な損害にあいました。しかし、城の崩れた部分は新しく積んだ石垣や新しく建築した屋根が大部分であったそうです。400年間風雪にも西南戦争の砲撃にも耐え抜いた宇土櫓は無事でした。

 

何事も「基礎」が大切。そんな清正公の想いを大切にしていきたいものです。

 

私たちの心の基礎を育むために、お彼岸中に行う「六波羅蜜」という修行方法があります。

 

お彼岸の期間は私たちが住んでいる世界「此岸」と仏さまがおられる「彼岸」の世界が最も近くなる期間です。

 

だからこそ、欲や煩悩にまみれた様々な苦しみがあるこの「此岸」にて、欲や煩悩から解放された「彼岸」に至るための修行をしましょう。という期間なのです。

 そのための修行方法が六つあります。

 

「布施波羅蜜(施しをすること)・持戒波羅蜜(戒律を持って生きること)・忍辱波羅蜜(耐え忍ぶこと)・精進波羅蜜(努力すること)・禅定波羅蜜(心を常に落ち着かせること)・智慧波羅蜜(五つの修行を実践することによって得られる智慧)」です。

 

難しいですね・・。

 

簡単に言うならばいつもよりちょっと人に対して親切な心、施しの心を持つ、生き物の命を大切にする、節制を心掛ける。人の迷惑に対しても広い心でもって接する。いつもよりちょっと色々な事に対して努力をしてみる。心が乱れないように心掛ける。そうすると自然に心に何かひらめきが得られる。

ということです。

 

どうぞ9月25日までのお彼岸中、皆様の心の基礎を育むためにご精進ください。

 

9月22日 11:15~

「秋季彼岸施餓鬼法要」

 

お気軽にお参りください