「就活」「恋活」「婚活」「妊活」「涙活」「離活」「終活」・・・etc
あなたは今・・・何の活動をしていますか?
と言いたいくらい、「活」がつくものが最近増えていますね・・。
流行っていますね・・・・「○○活」
うちの娘は「アイ活」にはまっています!!
ご存知ですか?アイカツ。その名もアイドル活動!!
とはいってもカードゲームなのですが・・・。
色んな「活」がありますが・・・・
「終活」
というのはお寺としてはきってもきれない活動ですね。
こういう言い方で始められたのはおそらく企業の方ではないかと推測します。
「終活」・・・自分の一生を振り返り、そのしめくくりに向けて準備をする、そこに、相続やお葬式やお墓などのビジネスが絡むので盛んに言われ始めたのでしょうね・・・。
言ってみればお寺は昔から終活の場でしたし、あえて活をつけなくても、葬儀やお通夜、法事、お墓参りも言ってみれば、その人の命に感謝して命に向き合うという意味では終活だとは思いますが・・・。
しかしながら、自分の死と向き合うこと、これは大切なことですね。
もう10年以上前東京にいたころ、大阪の大学のゼミでお世話になった先生に、臨床心理学のシンポジウムがあるから行きなさいと言われ参加した時に講演会で 上智大学のアルフォンス・デーケン教授の「デス・エデュケーション(死への準備教育)」というお話を聞き、大層感銘を受けて思わず本を買ってサインをもらいに行った記憶があります。
デス・エデュケーションは誰しもが必ず訪れる死とどうやって向き合っていけばよいのか?老若男女全ての人が死と向き合うことにより生を見つめなおすという非常にこれから必要とされる大切な教育であると思ったのですが、なんだか、最近では「終活」の言葉自体に商売気が凄くて少し違和感を感じます。
実は、仏教の始まりは生老病死、中でも最大の苦しみである「死」とどのように向き合あえばよいか?
これが出発点なのです。
日蓮大聖人のお手紙の中に
「人の寿命は無常である、出る息は入る息を待つことはない、風に吹かれて落ちる露のようなものである、それは賢い人も若い人も年をとった人も同じ定めである。だからこそまず人はこの命ははかないものである、死という終わりと向き合ってから他のことを学ぶべきである」
というような部分が出てまいります。
「一日一日を生きているということは一日一日死んでいく」 ということでもあります。
みんな平等で、そこからは逃れることはできません。
どうすれば 笑って、心健やかに、良い人生だった という最期を迎えることができるのか?
一日一日を感謝しながら大切に生きること。
これこそが本当の終活だと思います。
「もしあと一年の命だと言われたならがむしゃらに生きるだろう?
そんな気持ちで生きていくべきだと手塚は言う」
『THE BOOM いつもと違う場所で』