熊本に戻ってきた当初、毎月お経にうかがっていた二人暮らしの老夫婦のお宅がありました。
古い2階建ての一軒家で仲良く暮らしていらっしゃいました。
1階はご夫婦が過ごされる場所、2階はといいますと・・・。
実はこのお宅には30年ほど前、悲しい出来事があったのです。
一人息子さんが18歳の若さでバイクの運転事故で亡くなってしまいました。
それからというもの、悲しみに打ちひしがれながらお二人は息子さんの部屋だった2階に仏壇を安置して息子さんを弔い、供養しながらずっと時を過ごされていました。
それは何十年経っても変わることはありません、お経に行くと
「今日はね~命日ですから、上でゴトゴトと物音がするんですよ~、あの子が帰ってきてるんですね~。」
風の吹く音がすれば、何か物音がすれば、それが息子が帰ってきた合図なんだと嬉しそうに目じりを下げながら私にそう言われていました。
しかし、ご高齢のお二人は共に体の調子も悪くなってきました。
2階へあがる階段は急な角度で足が不自由なお二人には簡単には登れません、
それでも息子のためにとゆっくりとゆっくりと、息子のために・・・。階段を上がられます。
自立した二人の生活も困難になり、二人とも施設に入られ、毎月お経に行き、お会いすることもなくなっていました。
そしてつい先日、施設からおじいさんがお亡くなりになられたと電話がありました。
久々にお会いした柩の中に安置されたそのお姿、どこか穏やかそうなお顔をされていました。
きっと、ようやくこれで子供に会える。そんなことを思いながら・・・きっと再会することを心待ちにしながら旅立たれたのだろうな・・。そう感じました。
日蓮大聖人がお檀家さんに宛てた御手紙の中にこのような一節があります。
「法華経は三途の川では舟となり、死出の山では大白牛車となり、冥土にては燈となり霊山へ参る橋なり」
法華経は必ず霊山浄土、お釈迦様やご先祖さまがいらっしゃる浄土の世界に導いてくれる。
お経を拝読しながら、その旅立ちが安らかであるよう心から祈りました。
そしてまた、私もいつか・・・
「お上人さん、ようやくね、息子に会えたんですよ~」
霊山浄土であのお爺さんの笑顔を見れる日を楽しみにしながら・・・。