今から二年前のお話です。突然一件のお葬式の依頼が舞い込んできました。喪主は八十歳のおばあちゃん、亡くなられた方はご主人で七十九歳のおじいちゃん。親戚の方も少なく、お子さんがおられなかったこともあり、ごくごく近い方たちのみのお葬儀でした。

 四十九日も終わり、お仏壇を購入されて毎月お経にご自宅に伺うようになるとポツリポツリ色んなことをお話くださいました。

 「お上人さん、実はね~。私たちは、若い頃両親に反対されて駆け落ち同然に結婚したんですよ。私が水商売していましたから・・・。そんな女と結婚するなんて主人の両親は許さなかったんです、時代が時代でしたから・・・。

ほんと、幸せでした。結婚してすぐに妊娠して、私のこれまでの不幸な人生が一変しました。だけどね~。これからって時に私が2階の階段から足を踏み外してお腹の子供を流産してしまって、術後の経過が悪くてもう二度と子供ができない身体になってしまいました・・・

 なんでこんな体に・・。我が身の不幸を恨みました。だけど、主人はそんな私にそれまで以上に深い愛情を捧げてくれました。苦しい時も楽しい時も二人で手を取り合って生きてきました。

 お正月になると、神棚に上がったお酒をおろして、毎年『一年頑張ったね、これからも二人で頑張っていこうね、今年もよろしく』と乾杯して新年を祝うのが恒例の行事でした。年が一年、また一年過ぎていき、いつの間にか若かった私たちも中年になり、そしていつの間にか髪の毛が白くなり、シワが増えて、体のあちこち、痛いね~、なんて笑い合って・・・。死ぬときも片方が残るのは嫌だから、どっちが先に行くかで言い合いになったり・・。

 ずっと、そんな素敵な日常が続いていくものだって思っていたんです。

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 主人が突然病気になってしまって、もう余命もいくばくもないことを宣告されました、しばらくは入院していたのですが、結局最後は自宅で一緒に過ごすことにしたんです

 「しっかりしてよ。私が一人になってしまうやろ」

「そうたいね~、お前を一人にするわけにはいかんね~」

 症状がだんだんひどくなっていくと、私はつい弱気になって。

 「子供がいればね~」いつも口癖のようにいう私に、「おってもおらんでも一緒たい、お前がおればそれでよか」そんな話の繰り返しでした・・

 「うちは代々南無妙法蓮華経だったから、俺も南無妙法蓮華経で見送ってくれ」

 そう言って、最後の日、また会おうね、寂しくないから。待っていてね。お互いに「南無妙法蓮華経」と言いながら手を取り合って別れました。

 今は一人ですけど、このお仏壇があるから、こうやって毎月お参りにきてもらえるからこそ、お上人と一緒にお題目をお唱えすると、主人のことをいつも傍にかんじることができます。

 これからも、私がしっかりみてあげないといけないと思ってるんです。

 主人が寂しくないように・・。」

 お墓をお持ちではなかったので、当山の永代供養の場所に安置をしました。

 「私はいずれ主人のとなりにお願いします」

 区切られたスペースの中にきちんと夫婦ならんでの場所がとってあります。

 日蓮大聖人が夫に先立たれた持妙尼という檀信徒へご主人の命日にこんなお手紙を出されました。

 『昔から今にいたるまで、親子の別れといい、主従の別れといい、どちらの方が辛いということなく、いずれも苦痛なものなのですが、しかし、それらにもまして、たとえようもなく苦しいのは夫婦の別れです。

 いつか霊山浄土で再開できることを願い、法華経の題目をお唱えになってご供養なさいますように。』

 若いつもりでいる私たちも一日一日確実に年をとっていきます。

そして必ず今生での別れを告げるときがきます。

年をとって振り返った時に、こんな素敵な夫婦になれればいいなぁ・・・・そう思います。

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