私は実は目が悪く、小学生の頃からメガネ、中学生からずっとコンタクトを使用しています。つい、先日左目がコンタクトをしていても見えづらく、なんだか焦点が合わず・・・
最近、一つ上の先輩が「左目が原因不明で見えづらくなった・・・何件か病院に行ったら網膜に異常が見つかった、疲れや老化でなるらしい・・・」と言われていたのを思い出し、「ついに自分にも来てしまったのか・・もう、俺やばいかもしれん」と妻に言い残し、取るものもとりあえず急いで眼科に向かいました。
視力を測定する機械の前に座り機械を覗き込みます・・・。
「あれ?これ全然、レンズが合ってない!これじゃあ見えないのも当然ですよ!大丈夫ですか?え?なんでだろう・・・・」
と心配そうな看護婦さん、
「えぇ・・・なんとか右目は平気ですから・・」
どうしよう・・・どうしよう・・・
「ちょっと、右のレンズをかしてもらえますか?」
「はい・・・」
何かの機械にレンズをいれ、過去の問診票を見て一言・・・・
「これ、右と左、逆につけてらっしゃいますね・・・」
「え?いやいやそんな馬鹿な・・・」
「どうぞ、つけてみてください」
「え?えー?」
もうコンタクト使用歴は15年くらい経つはずなのに・・・目、異常、病気、やばい、という連鎖によってなしくずしに眼科に特攻してしまった33歳の私。もう充分すぎるほどの大人なのに・・・。
「今日は、料金は結構ですよ~」
と笑顔で看護婦さんに見送られ、ただただ
「スイマセン、すいません」と頭を下げて退場しました・・。
これはとんだ笑い話ですが、思い込みの力というものは案外バカにできないものです。人間「こうだ!!」と思い込んでしまうとなかなかそこから抜け出すことができないものです。ちょっと視点を変えて、「こんな見方もあるんだよ~と」示してもらえば簡単に解決できるのにです・・・。
人は何故悩み、苦しむのか、どうすれば苦しみと向き合うことができるのか?それまでになかった「ものの見方」で人を救う手段をお説きになられたのがお釈迦様です。お釈迦さまは、苦しみをどう向き合って越えていけばよいのか?人の最大の苦しみである「死」というテーマに「求めるべきは死なないことではなく、死を越えていくことなのだよ」と教えていらっしゃいます。
今年一月亡くなられたおばあさんが以前、こんなことを仰っていました。
「お上人さん、私は死ぬのはいっちょん(全然)怖くなかですよ。だって、向こうの世界はとってもよかとこなんでしょうね~」
「え、なんでですか?」
「だって・・・、誰も帰ってきとらんじゃなかですか」
お亡くなりになられるとき、静かに眠るように息を引き取られたそうです。早くに旦那さんに先立たれ、昭和の激動の時代、働きながら女手一つでお子さん方を立派に育てられ、一生懸命自分の人生を全うし天命を迎えられました。
命がいつかは終わってしまうということは、いずれは誰でも向き合わなければならない問題です、さて、みなさんはこの問題とどう向き合いますか?