毎月、お宅へお参りへ伺う、とある一軒に昭和8年生まれのおじいさんがいらっしゃいました。

 

この方は車を持っていらっしゃらなかったのでいつもどこに行くにも自転車でした。お子さんたちは遠方に住んでいらっしゃいました。入院されている奥さんに面会するため、毎日自転車に乗って、「昼には妻が待っておりますけん・・・」と病院に通われていました。

 

奥さんの体は徐々に悪くなっていました、「どがんしようもなかばってん、それでも待っとるけん行ってやらんとですな~」と雨の日も晴れの日も自転車で通われていました。

 

その後、残念ながら奥さんはお亡くなりになられ、心の支えが失われたのがショックだったのでしょう。おじいさんも随分と落ち込んでいらっしゃいました。

 

その年のお盆のことです。炎天下の中80歳間近のその体でよろよろしながらも、車で15~20分くらいかかる道のりを自転車でお寺の墓地へ奥さんのお墓まいりにいらしていました。

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額に汗をたくさんかきながら一生懸命お墓を磨いて、お花と供物をあげ手を合わせていらっしゃった姿が目に焼きついています。

 

「ちゃんと来てやらないと、妻がさびしがりますけん」

 

日蓮大聖人は持妙尼御前御返事というお手紙の中で「親子の別れ、主従の別れ、別れというものは、いつでもだれでも辛い、その中でも夫婦の別れほど切なく辛いものはない、しかし、一度通いあわせた想いというものはいつも離れることはないのだよ、だからこそしっかりお参りしなさいね」と語りかけておられます。

 

つい先日そのおじいさんも旅立たれました。数えで84年の生涯を終えられました。仏教では母親の胎内に生命を授かってからの年で数える数え年の年齢でみます。

 

奥さんと再開できることを心待ちにしながら、お子さんやお孫さん方に「たくさんの良い思い出をありがとう」とそんなことをおっしゃりながら四十九日の長い旅路に就かれたことでしょう。

 

無事に愛する奥様のもとへ、御先祖さまやお釈迦様がおられる霊山浄土の世界へとたどり着くことができますように、心からお祈りいたします。