あれだけ暑かった季節も終わり、あっという間の秋が過ぎ今日からいよいよ12月ですね、本格的な寒さがやってきました。この季節になると、マフラーや手袋が恋しくなりますsnow

「人間て本当にいいものかしら・・・」こんな言葉で締めくくられる狐の親子のお話、『手袋をかいに』という絵本があります。こんなお話です。

とある雪の降り積もった日・・・・

「お母さん、お手てが冷たくて痛いよ~」

「あらあら、可愛そうに・・手に霜焼けができてるわね~、夜になったら町まで降りてぼうやにぴったりの手袋を買いにいきましょうね~」

しかし、夜一緒に街の側まで降りてきた狐親子ですが、お母さんは昔町で人間に捕まりそうになり命からがら逃げ出してきたことを思い出して怖くなってしまい、どうしてもお母さんの足が前にすすみません。

しかたないので、お母さんは子狐を一人で街に送り出すことにしました。

「坊や片方おててをお出し」お母さんが手を握ると子狐の片方の手は人間の手へと変化しました。

「変なの、これは何?」

「それは人間の手よ、いいかい坊や、町へ行ったら人間の家がたくさんあるからね、帽子屋さんを探すんだよ。そして、トントンと戸を叩いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が少し戸をあけるからね、その戸の隙間から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ」

「どうして?」

「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、捕まえておりの中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ」と言って母さんの狐は持って来た二つの銀貨を、人間の手の方へ握らせてやりました。

「うん、わかったよ!!じゃあいってくるね~」

子狐は教えられた通り、看板の家を見つけトントンと戸を叩きました。

「今晩は」

 すると、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。

 「まぶしい!!」

子狐はめんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手を隙間からさしこんでしまいました。

「このお手々にちょうどいい手袋下さい」

「おやおや、これはこれは・・・。狐の手が手袋をくれだなんて、きっと木の葉で買いにきたんだな・・・よし、先にお金を下さい」

「はい、どうぞ」

「あれ・・これは・・・木の葉じゃない、ほんとのお金だな・・。ちょっと待っててくださいな。」

「はい、どうぞ」

子狐は、「ありがとう」と、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。

「お母さんは、人間は恐ろしいものだって言ってたけどちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの、いったい人間てどんなものだろう・・」

子狐は途中通りがかった家の中、人間の子どもが自分と同じようにお母さんに甘えているのを見て、急にお母さんが恋しくなって急いでお母さんの元へ帰ります。そして物語は母子の会話で幕を閉じます。

「お母さん、人間て・・・ちっとも怖くないや」

「どうして」

「僕、違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、つかまえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」

まぁ、とあきれながら、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。

この『手袋をかいに』の作者は児童文学者の新美南吉という人です。彼は29歳の時に若くして亡くなってしまいました。南吉は、短い生涯の中人を信じては裏切られ、激動の人生を過ごしています。母狐の最後の言葉は南吉の呟きだったのではないかと言われています。

日々のニュースを見ると目を覆いたくなるような事件ばかりが後を耐えません。

「人間てほんとうにいいものかしら・・・」誰もがこのようにつぶやくことはあるでしょう。しかし、絵本の中でも、結果として子狐は手袋を買うことができました。南吉は信じていたのでしょう、どんな時代でも、「人間はいいものだ。人間はいいものだ」と。

人間の持つ善の面、必ず仏になれるという、「仏性」をひたすら信じ尊重した生き方の見本として法華経の中に『常不経菩薩』という菩薩さまが出てきます。

この菩薩さまは「私はあなたたちを敬い、決して軽んじません。なぜならあなたたちは未来に仏となられるからです」と、どんなに馬鹿にされても道で出会った人々の仏性を信じてひたすらに礼拝され、やがて後の世にお釈迦さまとなって生まれて仏となられました。

人を礼拝し続けるというのは一見簡単そうに見えてある意味ではとても難しい修行です。なぜなら悪人も善人も怠ける人も努力家も皆から好かれる人も、皆から嫌われる人も、すべての人を肯定しなければならないからです。どんなに裏切られても心の底から人を信じなくてはならないからです。

 「理想論」、と言ってしまえばそれまでですが、他人の悪い面ばかりを見ていても何も解決はしないし、人間関係はすすみません。行き詰った時はどんな人でも必ず持っている「仏性」、ほとけさまの心に目を向けてみること、このことも大切なのではないでしょうか?