今からずーっと昔、インドの王舎城でのお話しです。

街外れに酪農を営む牛飼いの女性がおりました。

 

ある日、彼女は王舎城に牛乳を瓶に入れて売りにやってきました。

いつもと違い、なんだか街は賑やかで、人々が歌い踊ってお祝いしていました。

 

「今日はお祭りでもあるんですか?」

彼女がそう尋ねると

「えぇ、今日は徳の高い聖者さまがこの街においでになるのよ!さぁ、あなたも踊って幸せを授かりましょう!」

「さぁ、踊った踊った!」

あまりに人々が楽しそうだったので、つい彼女は誘われるまま踊りの輪に加わりました。

「なかなか上手いもんだ!もっと踊れ!!踊れ!!!」

皆は口々に彼女をはやし立てます。

彼女もつい調子に乗って夢中になって踊りました。

 

と、その時です。

「痛い」

急にお腹を押さえてうずくまりました。

 

実は彼女のお腹の中には赤ちゃんがいたのです。

しかし、夢中で踊ったため、お腹の子供は流産してしまいました。

 

「なんということだ!お腹に赤ちゃんがいたなんて!」

「大丈夫?」

皆は最初は心配して集まってきましたが、薄情にも

「でも、お腹に赤ん坊がいるくせに、あんなに夢中で踊るなんて呆れた人だ」

「関わりあいになるのは大変だ!」

「早く聖者さまのお話しを聞きに行こう」

と、彼女を置き去りにして立ち去りました。

 

一人取り残された彼女は絶望に打ちひしがれていました。

やがて、声をあげて泣き出しました。

「あぁ、お母さんが悪かった。ごめんね、本当にごめんね」

 

そして、子どもの亡骸にありあわせの布をかけて、草花を採って手向け、悲し気に立ちあがると牛乳の瓶を抱え、足取り重く歩き始めました。

 

しばらくすると、道の向こうが光って見えます。聖者様がこちらの方へ向かって歩いてきました。その神々しい姿に、彼女の心は洗われ、持っていた牛乳を全て聖者様に差し上げました。

 

聖者様は彼女の真心に心打たれ

「あなたの願いが叶えられますように」

と願いが一つだけ叶う神通力を行いました。

 

彼女は何を願おうか迷いましたが・・・先ほどの街の人々の仕打ちを思い出しとっさに恐ろしいことを思いついてしまいます。

 

「そうだ!皆に同じ苦しみを味あわせてやりたい。生まれ変わって、この街の子供たちを一人残らず食ってやろう!薄情なあの人達に私と同じ苦しみを味合わせてやる!」

 

女性は数百年後、願い通りに夜叉神(鬼神)の娘「ハ―リティ」として生まれ変わります。

 

ある時、王舎城の街では街の子供が次々と行方不明になるという事件が続いていました。

 

「うちの子を見ませんでしたか?」

「あの子がいなくなったんです!」

 

親たちは必死になって探し回りますが、見つかりません。

人々は途方にくれます。

そんな時、全ての人々が一夜にして、同じ夢を見ました。右手に宝珠を持った天神さまが現れ、「これは夜叉姫ハ―リティの仕業である。お釈迦様に救いを求めなさい」

 

お告げを聞いた人々はお釈迦様の元へ押しかけました。

 

「お釈迦様、どうぞ私達をお救いください、ハ―リティの悪行を止めてください」

お釈迦様は人々の願いに頷き、王舎城が見渡せる高い山、ハ―リティ夜叉の棲む山へと向かわれました。

 

到着すると、ハ―リティはどこかへ出かけて留守でしたが、少しひらけた広場でハ―リティの五百人の子供達が遊んでいます。

その中で一番幼く、ハ―リティが可愛がっているピンガラを持っていた托鉢の鉢に隠し、懐に抱いてお戻りになりました。

 

しばらくするとハ―リティが戻ってきました。

両脇には攫ってきた子ども達を抱えています。

 

ハ―リティはすぐに異変に気が付きます。

自らが何よりも愛している赤子のピンガラがどこにもいません。

 

「ピンガラ!ピンガラ!」

 

叫びながら大勢の子ども達の間を見渡しますが見つかりません、地を走り空を駆け、大通りから小さな通りに至るまで隅々と探し回りますがどこにもいません。

夜叉の力を使い、地獄から天上まで飛び回り、ボロボロになりながら、泣き叫び、我が子を探し回りました。

 

夜叉達を従える神である毘沙門天がそんなハ―リティの前に現れます。

「ハ―リティよ、人間界の王舎城におられるお釈迦様を訪ねてみよ」

と教えました。

 

ハ―リティは今までの疲れも忘れて全速力で再び王舎城へ戻り、お釈迦様のおられる精舎へとたどり着きました。

 

「お釈迦様、私は夜叉女ハ―リティと申します、私の大切なピンガラがいなくなってしまったのです。どうか、どうかお釈迦様私をお導きください」

 

ただ一心に我が子を思う一人の母親の姿がそこにはありました。

 

「ハ―リティよ、お前は何人子どもがいるのかね?」

「五百人でございます」

「ほう、五百人、それだけ沢山いるのならば一人くらい居なくなっても構わないだろ?」

「お釈迦様!なんてことを仰るのですか?五百人でも千人でも私の子供に変わりありません。子どもを失って悲しまない母親がどこにおりましょうか?」

「ハ―リティよ、人間が一生のうち授かれる子どもの数は知っているかい?多くても4,5人だ、お前はその100倍だ。500人いる子どもの一人がいなくなった母親の悲しみがそれだけ深いならば、人間の悲しみはどれだけ深いだろうか・・・。そして、お前にとって大切な我が子がいなくなったとき、お前はどこに行っていたのだね?」

 

そこでハ―リティはハッとなります。

「私は今まで何という事をしていたのだろうか・・・」

涙を流し、ようやく自らの過ちと人間の悲しみに気づくことができたのです。

 

「ハ―リティよ、お前の愛するピンガラはここにいるよ」

とハ―リティにピンガラを戻しました。

 

お釈迦様はハ―リティが何故、王舎城の子ども達を奪うようになったのか、ハ―リティの前世のお話をされ、その苦しみから脱するよう教えを説かれ導かれました。

「私は自らの愚かさと人間の苦しみがわかりました、これからは子どもと母親を護っていく神になります」

ハ―リティはそう誓いを立てられ「鬼子母神(きしもじん)」となられたのです。

鬼から「つの」がとれ、善神となられましたので、鬼子母神の「鬼」の漢字は「つの」が取れているのです。