自分で自分の姿を見たい時、皆さんはどうしますか?
色々やり方はあるかと思いますが・・・
一番手軽なのは鏡をみることですね。
しかし鏡に映った自分。
これは果たして本当の自分の顔なのでしょうか・・・
こんなお話を聞きました。
鏡に映った自分というのは光の加減や鏡の前に立つとどうしても無意識によく映るために角度をきめたり、
「キメ顔」というのをしてしまう人間の悲しい性により・・・
実際よりも素敵に映り、その顔を自分の中で自分自身だと思い込んでいるとのこと・・・
「お!まだまだ俺もいけんじゃん!
鏡の前でそんなこと・・・・思った事ないですか?
なので、写真や映像に映った自分を見ると、
「え?これって自分?」と思うことがあるようです。
そんな経験ないですか?
今は自分で自分の写真を撮るときは何回も取り直しができますし、
スマホで撮ることもできますから便利ですよね・・・。
さてさて、私達の心の中には2つ「鏡」があるそうです
一つは「他人鏡」と呼ばれるものです。
どういうものかと言いますと・・・
自分というものは自分ではわからないものです
だからこそ他人の眼から見られた自分というものが気になる。
他人の眼から映った自分の姿、それをまた別の他人と比べ、落ち込んだり喜んだり・・・
つまりは他人からの評価が気になってしょうがないわけです・・
他人の眼から見られた自分を写す鏡を「他人鏡」と言います。
しかし、だんだんと自分の存在が認められ自分の心に余裕ができると
他人の眼ばかり気にしていた自分、形ばかりにとらわれた自分を反省し、
自分は自分、他人は他人!気にせずしっかりと歩いていこう!!
と思いますが悲しいことにそうやって反省できるのは心に余裕があるときだけです。
心に余裕がなくなってくると、また他人からの眼が気になり始めます・・。
自分も悪いが・・・まぁ、あの人よりはましだ!
そんな風に自分にとって都合の悪いところは一切見ないように、
自分の欠点を隠し美化してゆがんだ自分の姿を見せる鏡、
これが「自分鏡」というものです。
他人鏡と自分鏡、二つの鏡が私たちの心の中で自分自身を映しています
どうすれば自分の心をありのままにみることができるのか?
お釈迦様はご入滅される時、お弟子様たちから
「お釈迦様がお説きなられた45年の教えを一言で言い合わらすならばどんな教えですか?」
と尋ねられると
「汝らに法鏡を授けるであろう」と仰いました。
法とは真実、鏡は映し出すもの。「法鏡」とは、つまりは真実の自分の姿を映し出す鏡という意味です。
真実のありのままの自分の姿を知るための教えが仏教ということです
宗派によって色んな教えがありますが、どの教えも自分を知り、自分と向き合うための大切な教えだと思います。
何も難しい教えだけが仏教ではありません。
お墓参りをされ、お亡くなりになられた方々やご先祖様と向き合うことも、
お寺に行き本堂でゆったり座り、ご本尊と静かに向き合うことも、
自分と向き合い、真実の自分を知るための一つの方法です。
梅雨に入り、なんだか心も身体もじめじめしている時こそお寺参りに行かれませんか?