今日、明治42年生まれのおばあちゃんが旅立たれました・・・。

 

荒尾市で一番長く年を重ねられた方でした。

 満の106歳、11月9日がお誕生日でしたので、もう少しで107歳でした。

 

明治42年といえば、妙国寺が誕生した年です

p1010042-jpg1

「お寺はおばあちゃんと同じ年ですからね~

いつまでも元気でおってくださいね

 

なんて・・・よくお経に行った時にお話ししていました。

 

9年前に荒尾に戻ってきて、そのお宅へ毎月お経に行くと、お茶と黒砂糖をいつも出してくださったのを覚えています。

奄美大島で生まれて育ち、結婚して炭鉱で働くためにこちらに引っ越しをして、戦争を経験して、いつの間にか孫もひ孫も増えて・・・・

そんな歴史をいつも語ってくださっていました。

大変信仰熱心な方で、よくお寺にも参りに来てくださっていました。

 

「私は、お寺が大好きです。お参りに行きたかばってん、もう足も思うように動かんごつなってしまってですね~。100歳まではなんとか動きよったとですよ~100歳超えたらいかんですなぁ~」

 

「おばあちゃん、普通の人はもっと早く思うように動かんようになるものですよ、充分、すごいことです!」

 

「お上人さん、私はまた生まれ変わって・・・・お寺の世話ばしますけん!掃除したりお寺のことば色々しますけん!」

 

「あはは(笑)じゃあ、頑張って僕も待ってますね!今生で会えなかったら、また僕も生まれ変わってお坊さんになりますから、よろしくお願いしますね~」

 

そんなお話を笑いながらしたり・・・・

 

dscn4183 

「お上人さん、私はお経に出てくる

 

『今この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生は、悉くこれ吾が子なり』

 

このお経が大好きです。仏さまは私達を自分の子どものように大切に思っていてくださる。そんなありがたいことが他にあるでしょうか?」

 

いつも、仰っていました

 

このお経の一節は妙国寺のホームページのトップページに出てきます。

この一節を選んだのも、おばあちゃんの言葉があったからなのです。

 

3~4年位前から施設に入られてから、ご家族のお話で、

「今日は市長さんが来られて表彰状を貰ったり、広報に載ったりと嬉しそうでした!」

そんなお話をよく伺ってはいたものの・・・・

お会いする機会もありませんでした。

 

今思えばもう一度お会いしてお話ししたかったなぁ・・・。

と残念に思えてなりません。

 

明日は11時~宗祖御会式法要と月例鬼子母神祭

日蓮大聖人を偲び、報恩感謝の想いで行う法要です。

今こうして、様々な出会いと別れの中、信仰によって生と死を超えてつながり生きていけること。

私を導いてくださった様々な方々へ報恩感謝の想いで務めさせていただきます。

 

106年、本当にご苦労さまでした・・・・

またいつか・・・必ず会えますよね・・・

必ずお会いしましょうね・・・・