「お経」と言われて皆さんは何を想像されますか?
お葬式の時にお坊さんが唱えるなんかよくわからないけど難しい言葉。
悪い霊とかを払う呪文。
などなど・・・。
一般的にお経とは何なのかよく知られていないのが現実です・・・。
仏教とは仏の教えという意味なのです。その仏とはお釈迦様のこと、お釈迦様は29歳の時に出家されて6年後、35歳の時に真理に目覚められ、悟りを開かれてから80歳で入滅されるまでの45年間様々な教えを説かれました。
その教えの数は膨大で、俗に八万四千の法門(教え)と言われ、数多くの種類がありますが、正確な数字は不明です。お釈迦様の時代には、その教えを記録に残すことはご法度だったようです。暗記だけが唯一の方法でした。お釈迦様が亡くなられた後、十大弟子と約500人の弟子たちが数々の尊い教えを正しく伝えていくために、その教えを編纂しようと集まりました。しかし、それは言葉を書き留めたわけではなく、お釈迦様の教えの内容に食い違いがないかをたがいに耳で確認しあっただけでした。そしてその教えは何百年も受け継がれていき、文字に記録されお経ができあがったのです。
つまり、キリスト教に「聖書」があるように、イスラム教には「コーラン」があるように、仏教徒のための教えが説かれた「経典」、お釈迦様の教えの言葉を弟子たちが何百年もかけてまとめたものがお経なのです。なので、お釈迦さまが説かれた教えの経典は必ず「如是我聞」(私はお釈迦様からこのように聞きました)という文句から始まっています。
なら、なぜ私たちお坊さんはお経を読むのでしょうか?
お釈迦様の時代やその入滅後、弟子たちはその教えの内容を確認しながら、経典の編纂を行うために、何度も声を出して経文を繰り返して読んでいたと考えられます。声を出して読むことにより経文を覚えて、お釈迦様の教えを学びとっていったのです。また、お経を読むこと自体に功徳力があると信じられて、考えられていました。日本では中国から経典が伝えられたこともあって、その当時の主流であった中国南方の発音の呉音でお経は読まれます。ただ、例外もあって、密教の経典には漢音でよまれるものもあるそうです。
というように、お経とは、実はお釈迦さまがなんとか私達の生きるうえでの様々な苦しみを救おうと、色々な場面や状況に応じた手立てを示してくださったのがお経なのです。
お経のどの部分を大切にするかによって日本の仏教の宗派が様々に分かれてきたのですが、元を戻せばひとつであり、すべてがお釈迦様の教えなのです。
お経をただ読むだけでもそれは大変功徳のあるものですが、お経の意味を知っていくと悩んだ時、苦しい時、いろんな場面で私たちを生きる道しるべとなるのです。
義専
*参考文献「仏教早わかり百科」