暑さ寒さも彼岸までとは昔の人はよくいったもので、彼岸に近づくにつれ暖かい日、寒の戻りを繰り返しながらようやく本格的に春の訪れを感じるようになってまいりました。

さて、春の彼岸の期間は太陽が真東から昇って真西に沈んでいく昼と夜の時間がちょうど同じになる彼岸の中日である春分の日を中心に一週間の期間と定められています。

 こうした、どっちにも偏らないで中間の状態である、という自然現象とお釈迦様の説かれた「中道」の思想が結びついてお彼岸は仏教行事となったようです。さて、お釈迦さまが説かれました「中道」という思想はいったいどん思想なのでしょうか?

私達は時折偏ったものの見方をしてしまいがちです。正しいとか、悪いとか、好きだとか嫌いとか。気をつけていても、いろんな情報や情念によって自分の立ち位置が、あちらへ傾いたりこちらへ傾いたりと変化しがちです。そのような生き方をしていると苦しみというのは増す一方なのですから、どちらかに傾いてしまうようなこだわりを捨て、大きな目線で物事をとらえて、ゆったりとした道を歩みなさいよと、お釈迦様は苦行と楽行という両極端な道を避けて、どちらにも傾かない「中道」という道を歩むことで「仏陀」になられたことを示されました。

どちらにも傾かない思想。言ってみれば簡単ですが、実際行動するとなると難しい・・。しかし、大丈夫です。仏様は私達にきちんと「中道」という道を歩み安くしてくださっています。皆様いつもお参りされるように合掌してみてください。どうですか?その合掌は身体の丁度真ん中にきませんか?人間の右手というのは清浄の手、左手というのは不浄の手を表します。人間は清濁兼ね備えた存在でして、どちらかに傾いてしまうと、例え清いほうでも巡り巡って人間のエゴイズムを生んでしまうのです。なので、その二つ、清濁合わせて合掌し、それが身体の中心にくることによって、どちらにも傾かず、お釈迦さまのように、「中道」の生き方をしましょう。と仏様は合掌に示されているんです。

 彼岸は先祖供養の期間でもありますが、自分自身を見つめなおす大事な仏道修行の時期でもあるわけです。心沈めて合掌して、「自分はどちらかに傾いてないだろうか?」問いかけながら「中道」の思想で心穏やかにすごしたいものです。