ありがたいことに、8月18日開催の「一日寺子屋」もたくさんのご応募いただきまして考えていた定員をはるかに越え早々と募集を締め切らさせていただきました。
お申し込みいただきました皆さまありがとうございます、お子方にとってかけがえのない一日となりますように準備万端で挑みたいと思います。
また、今回は残念ながら参加できなかった皆さまもまた次回、秋か冬に同じように一日お寺で学び、遊び、感じるという企画をたてようかと思っておりますので是非ご参加ください。
さて、徐々にたくさんの方々とご縁ができまして、色んな活動やワークショップを通じてお寺に来ていただく方も増えてまいりました。
「お寺」というイメージ、お寺に来られた皆さまに聴いてみますと「堅い」とか「敷居が高い」や「神聖なところで入っちゃいけない」などなど・・・・。
私達お坊さんはその「高い敷居」や「堅い」というイメージをどうしてか崩して、気軽に立ち寄れるように、皆が集まりやすいように、もっと身近に感じていただけるようにと一生懸命、今様々な努力が様々な処で行われています。
しかし、一方で普段は近寄りがたい、堅い、人の想いや道徳、伝統や文化を重んじる、場所であるからこそ「普段は学べない大切なものが学べるのではないか?」と期待されてお子さんをお預けになったり、様々な活動に参加していただいているのではないかなとも思います。
お寺と言う場所、お坊さんという立場はまさしくその狭間にあってどんどん試行錯誤している最中です。
普段は味わえない神聖さのイメージを保ちつつ、身近に感じていただき気軽にお寺に来ていただく・・・。
う~ん・・・・・・この現代、なんて難しいのでしょう(笑)
「不易流行」
先日、教えていただいた言葉です。
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の中で見つけ出した境地で「不易」はいつまでも変わらないもの、守るべきもの。「流行」はそれぞれの時に応じて変化するもの、「不易」なものがないと基礎がないのでただの型なし、「流行」がないといつまでも取り残されて発展はない。
変化してはいけない受け継がれてきた守るべきところはしっかり守り、しかし時代に応じて時代のニーズを感じながら変化をしていく。
きっとこの考えはお寺だけでなく、全ての仕事に通じるのではないでしょうか?
確かに振り返ってみますと、新しいことはもて囃されますが、一時を過ぎるとすぐに廃っていきます・・
従来のやり方や従来の物事ばかりに固執すると発展なく、取り残されて必ず廃っていきます。
この「不易流行」の境地を見つけ出していくことこそ今の時代に必要なことですね。
人生にとって不易なもの。
それを感じとって学びとっていただけるのもお寺だからこそできる役割なのだと思います。