立冬もすぎました。本格的に寒くなってきそうな気配が朝晩続いています。毎年徐々に秋が短くなり、急に冬がやってくるような感じがします。
さて、冬になりますと、空気が乾燥していることもあって夜の空は大変美しく星が輝きます。
美しく輝く夜空を見ていると、宮沢賢治の作品、「銀河鉄道の夜」を思い浮かべられる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
主人公のジョバンニと親友のカムパネルラという二人の少年が銀河鉄道に乗って旅をするお話です。二人は銀河鉄道が北十字星から始まりどんどん南下していく旅の道中様々な人と出会います。その中のひとつのシーンで出会った家庭教師の青年と二人の子供達。
家庭教師の青年が、氷山にぶつかって沈みゆく船で自分が受け持つ二人の子供達を救おうとしますが、ボートに乗せる途中、助けを待っているたくさんの子供たちを見て、他の子供たちを押しのけてこの子達を救うのが正しいことなのか?このまま神の前に行くほうが本当に彼らにとって幸福なことなのではないだろうか?それとも罪は自分がすべてかぶってこの子供たちを助けるべきか?葛藤します。
そして、結局は他の人たちを助けるために犠牲なってしまったこの青年と二人の子供達。
青年は燈台守りに
「何が幸せかわからないのです。本当にどんな辛いことでもそれが正しい道を進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんな本当の幸福に近づく一足ずつですから。」
と慰められてこう答えます。
「ああ、そうです。ただ一番の幸いに至るために色々の悲しみもみんなおぼしめしです。」
また、あるとき会話の中でサソリの星座のお話が出てきます。
小さな虫を殺して食べていたサソリがある日、イタチに食べられそうになり逃げているとき井戸に落ち死ぬ瞬間、
「ああ、私は今までいくつもの命をとったかわからない。そしてその私が今度イタチにとられようとした時はあんなに一生懸命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。・・・・・どうか神さま。私の心をご覧ください。こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次にはまことの皆の幸せのために私の体をおつかいください・・・」
と願い、その体は真っ赤な美しい火になって星座なった。
という話を聞き、二人は
「本当に皆の幸せのためなら僕の体なんて百ぺんやいてもかまわない」
しかし、このあと少年たちの間でこんな会話が出てきます
「けれども本当の幸いは一体何だろう・・・」
宮沢賢治は実は大変熱心な法華経信者でした。自分のことはさておいても誰かの幸せのために我が身を捧げるという行為は「菩薩行」と呼ばれ、法華経の教えの中でも重要なテーマなのです。
「本当の幸い」とは一体何でしょうか?
仏教では、本当の幸いを得るためには目先の利益を追い求めることではない。欲望は叶えば必ずまた新しい欲望を生み出してしまう。だからこそ、目先の欲望は一旦置いておき、本当の自分の内面の充実に目をむけることです。
そのためには、「雨ニモ負ケズ」の中でうたったように、自分というものを勘定に入れずにあらゆる人々を共に幸福に導く菩薩行を実践しなさいと教えてあるのです。
宮沢賢治は著述の中でこんな言葉を残しています。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「本当の幸い」とは一体何か?たまには夜空を見上げながら宮沢賢治の心に触れ、自分自身に問いかけてみるのもいいかもしれませんね。